大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音韻
からんす(からうす唐臼)
私:土田吉左衛門「飛騨のことば」に一般名詞からんす(からうす唐臼、荘川村)の記載がありました。
君:飛騨全体ではなく、荘川だけという事かしらね。
私:だろうね。僕の郷里・久々野町では聞き慣れないね。要は少し訛っているという事なんだが、音韻学的には大問題という事じゃないかな。
君:大問題とは?
私:僕が飛騨の音韻に興味を抱くきっかけになったのが萩原町上呂の「あさんずの橋」、江戸期の飛騨の国学者で本居宣長の直弟子たる田中大秀も大変な興味をいだき、「あさみずのはし浅水橋」の転であろうと論じている。「あさんず」の音韻が強烈な印象である理由はたったひとつ、日本語にない音韻だから。同様の理屈で荘川村の「からんす」という音韻も「あさんず」同様に極めて珍しい音韻だ。日国に記載は無かった。それどころか小学館日本方言大辞典全三巻をはじめとして手元の資料のどこを探しても「からんす」の記載は無い。同語の響きは明らかに外国語、あるいは外来語だ。つまりは荘川村の音韻「からんす」は全国で唯一の音韻なんだ。大発見といってもいい。
君:なるほど。「ーんす」で終わる日本語としては、かんす鑵(弦のついた湯釜)、せんす扇子、たんす箪笥、この三つしかないわね。他は外来語のオンパレードよ。アナウンス、サイエンス、センス、ヒアシンス、等々、切りが無いわ。「からうす」は何時の時代からの言葉かしら。
私:待ってたぞ、その言葉。立派な和語です。万葉集3886辛碓尓舂「からうすにつき」。唐臼は臼を地面に埋めて梃子を応用して足で杵の柄を踏みながら杵を上下して、米などの穀類をつくものです。唐は後世の当て字。万葉集では「からい辛」の音韻を借用しているが、和語の音韻として「カラ」「ウス」の二つがあったという事。
君:再発見としては、「春」は「つき」と読むのね。
私:ははは、その通りだ。古典文学全集の読み下しでは「搗き」の記載だが、はてさて、春という漢字の意味は、などと考えるとアウトですね。日国には詳しい説明があり、「搗・春」は杵などの先で強く打って押しつぶしたり、穀物の殻などを除いたり、精臼したりすること。結論としては、春という漢字の中古音の音韻「チュウィン」が万葉の時代の日本人には「ツキ」に聞こえたという事の証左、というか当時の日本語の音韻が実は「ツゥクィ」に近い音韻だったからだよね。これを「チュウィン」で代用したというわけだ。若し間違っていたら御免なさい。
君:真偽はともかく、ここは音韻のコーナーだから話題提供という意味では申し分ないわよ。
ほほほ