大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

中等教育における方言教材

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私:初等教育に続く第二段だ。僕の中高時代(1967-72)だが、教科書には方言は一切、出てこなかった。転機は1998(平成10年)らしい。同年の学習指導要領に、方言と共通語の「果たす役割」や「豊かさ」を理解させる、という文言が現れた。これは中学の単元かな。
君:ところが現実は違うのよね。
私:そうだね。出版社は全国が市場、その一方で方言は地方特有のもの。市販されている教材は皆無に近い。学校独自の副読本という事で現場の教員の裁量に任されてきたようだ。学ばせるべき国語の内容は多く、方言(などというくだらないもの)を教えている余裕は無い。多くの教員は、つまりは学習指導要領を無視(身内から聞いた話)。高校ともなると現国、古文、漢文という事で益々もって方言どころじゃない。「永訣の朝」は別として、出版社はますます全国向けの方言教材の教科書なんか作れっこない。僕が高校を卒業したのは1972だが、それでもほんの数分の思い出深い授業があった。
君:ワオ、あなたの心に今でも残る50年以上も昔の高校の国語授業。担任の先生は教員の冥利に尽きるわね。
私:高校三年生の三月期、もうすぐ卒業だ。既に受験行脚にでた級友もいて、国語の授業は自由参加という事になっていた。そんな折、恩師の榎戸先生が、「今日はちょっと変わって教科書にない事を教えてやろう。戦前に柳田國男という国の役人がいて、彼は全国のカタツムリの方言に大変に興味を持った。」の言葉で始まる先生の「蝸牛考」講義はほんの数分だったが、僕は方言学という学問がある事を知り、強烈な興味を覚えた。
君:それはよかったわね。
私:時期がまずかったなあ。あと数週で卒業だぜ。高一からずうっと理系の受験勉強をしていたのだから。1月の中旬から下旬にかけてが願書の受付だったしね。
君:つまりは時すでに遅し。本当は高一の授業だったらよかったのかしら。 ほほほ

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