大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

初等教育における方言教材

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私:教育の歴史についてあれこれ論じても間口を広げすぎだし、なるべくあっさりと行こう。僕は小学生時代(1961-6)に方言について一切、学んでいない。
君:あなたは飛騨方言の話者よ。学ぶ必要なんかないわ。
私:今の時代はそうでもないらしい。光村図書出版、東京書籍、教育出版、学校図書、等々。キーワードは「方言と共通語」といった単元。詳細は省くし、第一に改定で外されている事もあるだろう。要するに大手は多かれ少なかれ扱っているようだ。5年生国語「たずねびと」を参考までに。さてさて学習指導要領を事細かに論じても始まらないが、その目的は実はたった一言で要約できると思う。
君:大きく出たわね。
私:日本全国、津々浦々まで東京語一色の令和の世の中でも、方言は地方に生きている。そんな中で生まれ育った地方の小学生に「方言意識」を培わせる事が目的なんだよね。小学生の場合は楽しみながらという教育が大切なので、教科書を離れてカルタ遊びなどもありだ。
君:何故、今の時代だからこそ子供が「方言意識」を培わなければいけないのか、と言う点については。
私:地方の言葉・文化を大事にしよう、という美談仕立てではなく、つまりは地方の子供達が、自分たちも東京語を話している、と思い込んでいる事に対する意識変革が目的でしょう。つまりは昭和の時代以上に「気づかない方言」の世界に生きている令和の小学生。そんな彼らが都会に出ても自分の方言に気づかぬ事もあるだろう。地方の大人も同じ。私が子供の頃は飛騨方言も訛りがひどく、今こそカミングアウト、つまりは少年の佐七の心には明らかに強烈な「方言意識」というものがあった。方言が消滅しつつある現代社会においてこそ、小学生が「方言と共通語」の 微妙な 差を知る事が大切。それこそが国語力。
君:なるほど。目指せ二刀流、バイリンガルの教えね。東京の子供達には「方言と共通語」の単元は全く要らないわね。 ほほほ

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