大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

地区連続の法則

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私:地区連続の法則とは「ある言葉や方言の分布地域が飛び地のように分断されている場合、過去にはその地域が地理的に連続した一つの分布域であったと推定する」という原則。
君:ほほほ、字面とは真逆の法則ね。地理的に不連続な地域における共通語彙が実は語源も同じどころか、文化経済的に過去に繋がっていた証左となる事なのでしょ。
私:まさにその通りだ。A、B、Cと地理的に連続した村であるもののAとCの村にだけある語彙の事。実はAとCの村はかつてはひとつの大きな村だった。そこに後世に割って入ってきたB村では別の言葉が話される、というもの。
君:あらあら、いかにも怪しげな理論ね。
私:まあ、確かにね。地区連続の法則はソシュール言語学 dialect continuum の矛盾を説明する理論だ。ところが、日本は世界一といってもいい島国。「海の道」という言葉を知っているかい。
君:つまり海路の事ね。
私:その通り。正しくは、言葉を運ぶ「海の道」というものがある、という発想の事だ。南西諸島(沖縄)や長崎県には無数といってもよい人の住む島々がある。島々は人々がゆるく行き来するし、島々の方言は微妙に異なる。このような場合、島々の距離と言葉の隔たりに差がある場合、地区連続の法則が当てはまる。更に好例としては、北前船が運んだ言葉という事で日本海側だけに、北前船寄港地にのみ残る方言というものがある。岩手県の沿岸部や千葉県の銚子に畿内方言「おおきに」があったとか、博多方言「ばってん」が日本海側の港町で使われていた例とか、京都の敬称「〜はん」が、北前船の寄港地であった佐渡に残っているとか。
君:これは柳田國男著「蝸牛考」の方言周圏論の延長にある考えね。陸は人が歩いて言葉を運び、海は船に乗った人が言葉を運ぶのね。
私:その通り。その考えの根底は、言葉を運ぶのは人しかいない、沢山の人が行き来すれば沢山の言葉が運ばれる、という当たり前の理論だ。
君:でも、学術語らしい言葉て語ると雰囲気はいいわね。 ほほほ

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