大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

dialect continuum

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私:久しぶり、言語学の話。ソシュール学説。
君:ソシュールはシニフィエとシニフィアンだけじゃなかったのね。
私:そういう事。彼はスイス人だが dialect continuum 自身は英語。方言連続体と訳される。
君:簡単に説明してね。
私:ヨーロッパは大陸。沢山の国がひしめき、沢山の言語がある。国境も多いが、国境をまたいだ二つの村の言語はそれほど変わらない。つまりは生活圏であり、婚姻圏であり、言語圏でもある。但し二つの首都となると完全な異なる言語が話され、教育なくしてお互いの言語の理解は困難であるという事。言語地図は国境を境界として多色刷りされる事が多いが、厳密には境界と言うものは存在しない。
君:日本は戦前・戦後あたりは方言区画論が盛んだったわね。
私:けん引役は東条操さんかな。江戸時代の幕藩体制で国ごとの方言パターンがが形成されてしまい、まことに都合の良い理論だった。五街道なんかは人にの行き来があったから方言連続体の考えは日本の方言にも当てはめられると思うな。
君:岐阜県の場合は美濃方言と飛騨方言が方言連続体と言えないかしらね。
私:まあ、言えるね。最近のネット発信を見ても岐阜県の方言として一緒に扱われる事もある。
君:北海道はどうかしら。
私:それはちょっと違う。明治時代に全国各地から入植という事で、方言のるつぼとでも言うべき状態で、連続体とは言わないと思う。方言連続体には前提条件があって、古代からずうっと定住していると起きる現象、という意味。日本語とアイヌ語の問題もあるが、少数民族語という事で、アイヌ語は日本語の文法に溶け込まなかった。南西諸島の島々の方言と本土方言との関係がまさに方言連続体の関係だね。日琉祖語が存在したのだから。島が並んでいてお隣の島通しの言葉の差は小さい(かも)。そして薩摩方言話者が琉球方言を理解するのは困難でしょう。若し違っていたら御免なさい。
君:本土を見ても青森方言と薩摩方言は似ても似つかぬわね。 ほほほ

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