大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代の飛騨方言
広開土王碑文
私:広開土王碑文は高校日本史で習うが、大学入試問題では山中の山。
★史料問題では碑文の原文が提示されてそれを読み解く問題
★論述問題では日本と朝鮮半島の古代における関係や広開土王碑文の解釈をめぐる歴史学上の論争について論述させる問題
★選択問題では時代人物・高句麗・百済・新羅との関係など基本的な知識を問う問題
など。日本人のDNAは(圧倒的に)朝鮮民族のそれに似ているので、古代日本語を考える上でも広開土王碑文に関する考察は外せない。当サイトでも幾つか記事を書いた。1、2、3、4
君:いいから結論を言ってね。
私:はい。古代日本語は倭語と言われるが、これは邪馬台国の公用言語。分裂国・倭の中で最も強大だったのが邪馬台国。倭語が広開土王碑文とどのような関係にあるかと言うと、全く関係なし。
君:もう少し具体的に。
私:広開土王碑文は漢文。朝鮮語ではありません。それに在位時期が 391年〜412年 の彼が自分の都合に合わせて後世に残そうとした意図がにじみ出ている。
君:高句麗最盛期の王たる彼が碑文を残したくなる気持ちはわかるわね。
私:歴史はめぐる、約250年以上の後に白村江の戦い(663年)。簡単に一言、大和という野蛮な国が朝鮮半島に攻め込み、百済・新羅を制圧したが、高句麗がその野蛮国を蹴散らした(広開土王は草葉の陰で涙を流した)。僕としては日本歴史の三大スーパーヒーロー中大兄皇子(後の天智天皇)に傾注しちゃうな。彼は大量の百済難民を受け入れ、そして日本に渡来した百済の人々は後の日本の社会に大きな影響を与えた。日本も、ぶっ、中大兄皇子の碑文を作ればよかったのに。このように広開土王碑文は歴史資料なので、残念ながら古代朝鮮語や倭語の研究には(全く)役立たない。
君:碑文に倭語の言葉が出てこないのね。
私:古代中国語では古代日本語の事を倭語と記述していたのか、という命題になるが、答えはハイ。尤も役立つのが『三国志』魏書東夷伝倭人条、通称『魏志倭人伝』。成立は 280年頃〜290年頃で邪馬台国・卑弥呼が出てくるし、倭種の記載がある。これは倭人、倭国、倭語、等々を示す言葉。広開土王碑文の解釈だが、先ほどネット情報でカウント、(間違っていたらごめんね)八か所に倭の漢字が出て来るが、倭人・倭国を意味する。倭語の言葉は出てこない。三国志の話になると、通訳がいた事が記載されている。つまり古代の中国語・朝鮮語・倭語の三者は(既に)相当に異なった言語であったという事だな。ハイ
君:早い話が倭語のルーツは不明ね。
ほほほ