大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代の飛騨方言
飛騨の縄文文化
私:この数日、日本人の起源について書いてきたが、総論的なものばかりだった。いよいよ核心に迫りたい。
君:なるほど、それで表題とあいなったのね。言い換えれば元祖の飛騨方言、つまりは飛騨の縄文人が話していた縄文語についての考察ね。
私:その通り。
君:いいから結論を先に言ってね。
私:飛騨に関する歴史資料は大和朝廷の歴史書・日本書記あたりからだから、飛騨の縄文語については資料らしいものは何も残っていない。
君:当たり前の結論ね。
私:さらっとお浚いしよう。氷河期に海面は下がり、日本列島は半ば大陸と陸続きになった。朝鮮半島と九州、そして樺太と北海道が陸続きになった。津軽海峡と南西諸島の慶良間諸島のケラマギャップは凍らなかった。この時に大陸から岐阜県にやってきたのがライチョウ。やがて氷河期が過ぎて日本が大陸と分断されてしまうと、ライチョウは北アルプスに取り残されてしまい、やがて日本ライチョウという固有種として進化して今日に至る。つまり飛騨の縄文人もテクテクと歩いて大陸から朝鮮半島経由で飛騨にやってきた。
君:なんとライチョウと縄文人は友達だったのね。ライチョウが岐阜県の鳥に指定されているのも宜なるかな。
私:まさにその通り。戦前辺りだったか、三国山脈における最後のライチョウが確認されて後は北アルプスのライチョウは真の孤独な存在となった。飛騨の縄文人は滅びたわけだからね。やがて氷河期は終り、縄文時代は日本全体が、特に中期にかけては、温暖な気候で食料が豊富だったと考えられている。特に、約6000年前の縄文時代中期には温暖化がピークを迎え、現在よりも平均気温が2~3度高く、雪国ではなかったという事。温暖な気候と、飛騨山脈や白山からもたらされる豊かな水により、飛騨地方は豊かな森が広がっていた。飛騨の縄文時代はブナやミズナラなどの落葉広葉樹林が発達しており、クリ、ドングリ、トチノキなどの木の実が豊富で、縄文人の主要な食料源となっていた。シカやイノシシなどの動物も多く生息しており、狩猟の対象となっていた。川では魚も獲ることができ、海からは離れているものの、山や川の恵みによって食料が確保しやすい環境だった。
君:なるほど、かなりリッチな生活だったのね。飛騨縄文人は約束の地を得たのね。物証はあるのかしら。
私:あるとも。飛騨にはそこかしこに無数とも言える縄文遺跡がある。発掘調査の結果だ。土器・石器は言うに及ばず、クリ・クルミ・動物の骨などの炭化物が多く見つかっており、ご先祖様がたはバーベキューが大好きだったという事。
君:なるほど。では問題は縄文語ね。
私:うん。簡単に一言、絶滅した言語であり、現代人の我々が話している飛騨方言にその痕跡を見出すのは不可能と考えて間違いない。但し、唯一、現在の地名にその痕跡がみられる。ヒントとしては、北海道や東北にアイヌ語の地名が現存する話は有名。アイヌ民族は人類遺伝学的に縄文人の子孫である事が判明している。
君:なるほど、オホーツク文化の縄文人がアイヌ民族という訳なのね。ところで、飛騨の地名とは。
私:That's what I'm asking you. 東日本の山岳地帯では沢(サワ)という地名が、西日本では谷(タニ)という地名が使われる傾向がある。この境界は、およそ飛騨山脈周辺とされている。これが唯一、実証されている縄文語の痕跡。別稿も参考までに。大和朝廷の倭語と融和して現代語として残っている、というわけ。東日本、特に中部山岳地帯は多雪地帯で、雪解け水によって形成される水の流れをサワと呼んでいた。サワサワと流れているからサワ、こんなの擬音語に決まっているよね。この飛騨の縄文語だが、多分、アルタイ語族に属し、まあ弥生人が話した倭語に近いようなものだったのかもしれないね。
君:縄文時代の飛騨はこの世のウキウキパラダイスだったのね。
私:そうなんだ。それと相まって飛騨地方は、縄文遺跡に比べて弥生遺跡が少ない傾向にある。飛騨の弥生遺跡は、赤保木遺跡と内垣内遺跡(高山市)と筒井平遺跡「=上呂銅鐸出土地」(下呂市上呂)が確認されている程度。銅鐸は昭和7年に国鉄高山線の工事中に竜泉寺の観音堂西側の地下から偶然に発見された。蛇足ながら江名子ひじ山遺跡は縄文・弥生のハイブリット遺跡。
君:まあ、太古の時代に高山市一帯と上呂は大都会だったのね。知らなかったわ。嬉しい。
ほほほ