大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近世
江戸時代の飛騨方言・訛りは国の手形・江戸幕府の関所政策
江戸時代の飛騨方言を語る事により、当フォーラムもいよいよ佳境です。日本に何故かくも沢山の方言が存在するのか、大きな理由は江戸時代に各地に関所があったからでしょう。明治以降、平成の時代になって方言が廃れているのは勿論、関所がなくなりマスメディアが発達したから、当たり前の事ですね。関所といっても箱根の関所のようなものばかりを考えてはいけない、例えば地上波、ラジオには関所がありません。お隣中国はいざ知らず、インターネットにも関所はありません。今は、ひとつの言葉が瞬時に世界のニュースになるご時世です。
さて江戸時代の飛騨といえば、北に西猪谷関所、南に御厩野口留番所東に木曽福島関所、があり庶民が自由に諸国を往来する事など夢のまた夢、であったという事です。
飛騨金山関所の存在も無視出来ません。つまりは物資の往来が厳しく監視される中、他所の国の言葉が入ってくる事もなかった次第です。
更にここに災いしたのが、飛騨は天領であったが故につまりは参勤交代すらなかったという事です。参勤交代では大名の家族は全て江戸の武家屋敷に住み、いわば殿様は家族にとっては地方への単身赴任者、家族全員が実は江戸の都会の人間というわけです。また家臣の多くは江戸の町を見てきた人々、地方の城下町は小江戸文化が栄えても不思議ではありません。ところが一方、天領飛騨の武家人口は限られ、飛騨高山に江戸言葉の言語島があったとしてもせいぜい代官所の界隈だけだったのでしょう。
筆者が江戸時代に江戸から飛騨に入ってきたと直感する言葉は唯一、てきない、のみです。飛騨方言の語彙は相当数が東京語の語彙に一致しますが、それらの語彙が飛騨に流入したのは、ズバリ、明治時代になってからでしょう。天領の時代ではありえません。
重要な点を以下に。
まとめ
ことふりにたれど飛騨方言とて然りという事で、訛りは国の手形とも言います。現代に語り継がれている各藩ごとの方言は、実は江戸幕府の関所政策により完成したといえましょう。それらの方言境の多くは現代の県境に一致します。更には、移封、国替えにより特異な言語島もいくつかできました。好事家はお調べあれ。
さて飛騨方言に目を向ければ実は天領時代が長く続き、いよいよ飛騨には言葉は外から入ってこなくなりました。入った言葉といえば不肖佐七が知る限り、不肖佐七辞書約三千語彙の中で、ただひとつの単語・てきない、のみ。
おまけ
平賀源内のエレキテル(1770年(明和7))、ってエレキギターの事でしょ。"エレキ"なんて言葉が飛騨に入ってきたのは戦後に決まってますって。多分ベンチャーズ初来日のころでしょ。うわあ古いなあ、俺も。大西佐七のギターサイトもよろしくね。