大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の地名・番外編・幻の地名

山之口村(やまのくちむら)

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私:山之口村(やまのくちむら)は現・下呂市萩原町の大字・山之口の事だが、かつてはひとつの行政単位だった。
君:ここのところ、立て続けに明治の廃藩置県のお話ね。そのあたりの事であろう事くらいは想像がつくわよ。
私:話を思いっきり昔の話にして、古代の飛騨の話までさかのぼろう。平安時代の中期・延喜式(905-927)に出てくる飛騨の地名は、益田(ました)・大野(おおの)・荒城(あらき)、以上の三つの郡。これは江戸時代までの長きにわたって続く。明治8年に大野郡の高山一之町村、二之町村、三之町村は合併して大野郡高山町になった。飛騨における町名の第一号。同年に出来たのが位山村。江戸時代まで続いた大野郡山之口村は位山の大字となった。多くの地名は語源の解析が可能、山之口は和語集合の一般名詞、これが固有名詞化したという事。舟山(ふなやま)・位山(くらいやま)・川上岳(かおれだけ)の秀峰に取り囲まれた登山口の村。
君:かつてはひとつの行政単位だった、この意味は江戸時代まで山之口村だったという事ね。
私:その通り。ただし廃藩置県による位山村の誕生で行政単位としての山之口村は一旦ながら消滅した。朗報としては、あまりにも大きすぎた位山村という事で明治16年に、なっなんと、位山村は分裂して消滅してしまった。位山は同年に宮村・山之口村・河内村・久々野村の四つに再統合、つまりは山之口村は明治16年に再び江戸時代の名前に戻ったのみならず、再び行政単位に返り咲いたんだよ。
君:あら素敵、山之口村の人々はお喜びになったのでしょうね。
私:その通り。それだけじゃあない。かつては山之口小学校というのがあった。山之口小学校の開設は明治6年、昭和27年に木造二階建て新校舎が出来ている。押しも押されもせぬ立派な村だ。ただし山之口小学校は1988年に尾崎小学校の新設により同小学校と統合して廃校となってしまった。時代の流れ、過疎化には勝てなかったという事かな。ところで尾崎小と統合という事に少し違和感を覚えないかい?
君:山之口は山深い所だし、尾崎は人里だからという説明ではいけないのよね。
私:その通り。キーワードがあって萩原町の誕生、昭和31年の事だ。
君:あら、私が生まれた頃。
私:萩原町の誕生に伴い、昭和まで続いていた大野郡久々野町山之口は益田郡萩原町山之口になったんだよ。
君:あらあら、久々野村がいつのまにか久々野町になり、山之口村を吸収合併していたのね。いつのこと?
私:昭和29年だ。自慢じゃないが、久々野は村から町に昇格したし、萩原も村から町に昇格したが、久々野のほうが萩原より2年も早いんだぜ。えっへん
君:ほほほ、そういえば佐七君は久々野町大西村の出身だったわね。2年の差、つまりどうでも良い事が自慢できる佐七君って異次元のおかたね。ついでに質問、小坂(おさか)が村から町に昇格したのはいつなのかしら。
私:萩原と同じく昭和31年。
君:あら、そうなの。またまた次いでに質問、古川町が村から町に昇格したのはいつかしら?
私:これは素直に認めざるを得ないが、久々野なんか話にならない。古川の圧勝だ。なんと高山と同年の明治8年です。古川町町方村が古川町と命名された。
君:高山・古川の背伸び競争はともかく、行政の線引きでは翻弄されてしまった山之口村だったのね。昭和31年までは大野郡久々野町、それ以降は益田郡萩原町なのよね。それでも江戸時代までは言うに及ばず、今も昔も山之口は山之口よね。 ほほほ

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