大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の地名・番外編・幻の地名

位山村

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私:「くらいやま位山村」とは明治8年から明治16年まで続いた幻の行政区画。
君:まわりくどい話はやめて、すっきりと話してね。
私:1871(明治4)年の廃藩置県直後の話。明治新政府は江戸時代に長く続いた幕藩体制を全廃、行政区画の大統合に取り掛かった。全国に行政区画統合の大嵐が吹き荒れたというわけ。飛騨も御多聞に及ばず、無数にあった村々も統合された。旧大野郡と呼ばれた地方は清見村、高山町、大名田村、丹生川村、荘川村、白川村、位山村、朝日村、高根村、以上の九区画に整理統合された。この中で二か所がその後に消滅したんだよ。大名田村は大正12年に大名田町に昇格したが、昭和11年に旧高山市に編入された。
君:つまりは明治に突然できた位山村だけど消滅したのね。大名田と同じく、どこかに編入されたのかしら。
私:いや、違う。その逆だ。あまりにも広い範囲にしちゃったかなという事で、その後に宮村と久々野村の二つに再分割された。
君:宮村は現・高山市一ノ宮町ね。そして久々野村は現・高山市久々野町。
私:その通り。宮村は江戸時代からの地名だが、明治になって位山村になった途端に行政区画は現・久々野町の大半を含むようになった。それは、山之口、小坊(こぼう)、有道(うと)、引下(ひきさげ)、木賊洞(とくさぼら)、長淀(ながとろ)、渚、阿多粕(あたがす)、久々野村、山梨、無数河(むすご)、以上の地域。一機に巨大な村、その名も「位山村」誕生の瞬間です。旧・宮村(水無神社界隈)の人々は位山村という一段とビッグスケールな名前になった事にも大満足だったであろうと推察できる。
君:でも、過ぎたるは及ばざるがごとしという事で位山村は二分割されちゃったのね。たった8年間の位山村天下という事で、久々野村の存在は無視できなかったのね。
私:その通り。旧宮村と旧久々野村は刈安峠というちっぽけな峠を隔てたお隣同士で文化圏は同じといってもいいかもしれないが、水系が違う。旧宮村は宮川水系で裏日本、旧久々野村は益田川水系で表日本だ。実は久須母・柳島・大西・辻は明治に朝日村誕生当初は朝日村の一部だったが、新生朝日村も位山村と同様に大きすぎるという事が問題になってきた。
君:要するに明治の初めに久々野村という行政区画は存在せず、大きな朝日村と大きな位山村があったものの、朝日村の下流と位山村の南を足して新生久々野村が誕生したという事なのね。
私:その通り。その時以来、戦後を経て今日に至るまで、このあたりは朝日・久々野・一宮という三つの行政区画になったという事。
君:江戸時代までは名もないような村であった久々野村が明治以降に大躍進して、遂に独立を勝ち得たという感じよね。
私:うん。そんな感じだな。位山村という大きな村の誕生で浮かれていた人々も、お隣に新生久々野村誕生にて江戸時代からの宮村(現・高山市一ノ宮町)に戻ってしまい、ハッと我に返ったという訳です。
君:しかも久々野村は位山村から独立したのみならず、朝日村の一部をもらって、自分たちより大きくなっちゃったのだから「位山村いのち」の人々には受け入れ難い事だったでしょうね。 ほほほ

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