大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 動詞
存在の動詞「あり」
私:あれこれ飛騨方言について書き続けているが、やっている事は極めて簡単、要は古典文法、徹底的な品詞分解、という事に尽きる。
君:おおよそ見当がつくわよ。三省堂古語辞典の巻末あたりを藪にらみしているのね。
私:お言葉だな。角川古語大辞典全五巻、これはもうなくてはならない座右の書だ。
君:それでも知識が穴だらけかもしれないわよ。
私:そうだね。なりきり国語教師の気分だが、恩師はお二人、古文を住英明先生(金沢文卒)、松崎充先生(国学院文卒)のお二人から教わった。実は六十年近い昔の話になる。是非ともお会いしてお礼を一言と、その後は独学でここまで解明出来た事をご報告申し上げたい。
君:なるほど。では早速に結論をお願いね。
私:真っ先に論ずるは形容詞カリ活用。「かり」の語源は「く・あり有」、従って形容詞+自ラ四「あり」。重要点が二つある。本質が動詞である事により形容詞に命令形を作る事が出来た事、例えば、君よ、永遠に美しかれ。助動詞を形容詞に接続させる事が出来るようになった事、例えば、左七は君に逢えず悲しからずや。
君:チープな文語ね。
私:確かに、続いては、形容動詞のナリ活用・タリ活用、これは「にあり」「とあり」が来た言葉だから、結局は存在の動詞「あり」の問題だ。芳賀と橋本なんていう東京帝国大学の教授が二人も共同作戦で「形容動詞」なる珍品詞を提唱、戦後の学校文法になった。中高生が可哀そう。覚えなくてもいいよ。山田文法ではその存在が否定されているんだから。要は格助詞に存在の動詞「あり」が接続したもの。
君:お言葉ね。ここだけの話にしておいたほうがいいわよ。
私:そうかもね。
君:まだありそうね。
私:方言学では指定の助動詞「だ・じゃ」の東西対立というものが主要なテーマになっている。これも東京語「(でぁ)だ」、畿内方言「じゃ(や)」の語源は共に「であり」。これも格助詞に存在の動詞「あり」が接続したもの。
君:まだありそうね。
私:敬語体系のお話に移ろう。「あり・をり・はべり・いますかり」、これも元は「あり」。「をり」だが、中世から近世にかけてラ行四段化が進んだ結果。或いは別の説としては複合動詞「ゐあり」から成ったものとの考え方もある。「はべり」の語源は「はひあり這有」。「いますかり」は「いますがあり」からと言われている。「いまそがり・みまそがり」とも言う。
君:敬語が生まれたのは社会階級が誕生したからよね。天皇のお言葉と目下の言葉に違いが現れたからだわ。
私:ラ変活用については「あり・をり・はべり・いますかり」に追加するとなると、「かかり・さり・しかり」「けり・たり・なり・り」など。各々は「かくあり・さあり・しくあり」「くあり・とあり・にあり・(にあ)り」から派生した動詞だ。
君:要は言いたい事はひとつよね。
私:そう。これら全ての和語動詞が「あり」から生まれた。百花繚乱の全国各地の方言だが、ルーツは皆同じだ。
君:つまり存在の動詞「あり」は弥生語かも、或いは日琉祖語かも、と、話がエスカレートしていくのよね。住先生も、松崎先生も、おっ佐七君・なかなかいいぞ、と仰るかもしれないわ。
ほほほ
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