大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 気づかない方言各論
おった
私:自ラ五「落ちる」の過去形は「落ちた」だが、飛騨方言では「おった」という。・・リンゴの木から実がおった時、ニュートンは万有引力の法則に気づいた、とか。
君:ポロリと出てくる飛騨方言、本人はその不自然さに全く気付いていないものだから、周りがフリーズするパターンね。
私:そう、話した本人が、自分の発言は若しかして飛騨方言か、と瞬時に気づけばいいのだけれどね。「ははは、飛騨弁がでちゃいました。実は僕は飛騨の高山の出身です。バイリンガルなんやさあ!」と切り抜けて、あわよくば受けを狙えるからね。
君:その辺は学校教育でしっかりと正しい日本語を教えなくてはね。
私:いやいや、先生も飛騨弁丸出しだからなあ。
君:飛騨方言といってもほとんど東京語に近いのに、ところどころに飛騨ならではの言い回しがあるからやっかいなのよね。
私:いやいや、「おった」も東京語に近い言い回しでしょ。
君:えっ、どうして?
私:語源から考えてみよう。
君:語源は関係ないわよ。ラ行動詞連用形の促音便例という国文法上の問題じゃないかしら。
私:いやいや、これは僕の勝手な想像だが、飛騨方言「おった」は江戸語「おっこちた」から来ているんじゃないのかな。
君:「おっこちる」は江戸語というより立派な現代口語ね。
私:うん。それでも、まずは江戸語・自タ上一「おっこちる」について調べた。関東方言だが、江戸時代からの流行語だ。「おちる」の語気を強めた言い方で、いわば流行語。これが直ぐに江戸文学に出てくる。更には名詞「おっこち」は専ら「恋に落ちる事」の意味で用いられるようになった。更には江戸時代・天保年間に流行したのが「おっこちしぼり・落絞」。絞りの形式と「おっこち」という言葉との関係性は無い。当時、その言葉が流行していたから、その絞りの名前になった。蛇足ながら江戸語は更に発展して「おっことす」という他動詞を生み、「おっこちる・おっことす」の自他対が既に江戸時代に生まれた。
君:なるほど、飛騨方言「おった」は江戸語「おっこちた」が短呼化して生まれたのでは、と考えたのね。
私:より具体的には、「こち」という有声音が無声音化した後に、遂に消滅したのです。
君:なにも証拠は無いわよ。
私:ないね。否定する論拠もみつからない。つまりは、いかにも有りそうな説。
君:命短し恋せよ乙女、恋におっこちるのは良しとして、入試に「おってまう(=落ちてしまう)」のだけは願い下げね。
ほほほ