大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

屋号とは

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私:僕のペンネームは大西佐七だが、「大西」は市町村名の大字から、「佐七」は我が家の屋号から、それぞれとった。そもそも屋号とは、江戸時代あたりからの言葉。なぜなら当時は幕府により苗字帯刀を許された者以外は苗字を名乗る事が許されなかった。従って当時の屋号の意味は苗字の私称、つまり庶民の苗字。
君:ところが現代における屋号とは、会社名と異なり個人事業者が名乗る名前よね。例えば、何々屋、何々商店、何々堂。
私:そう。民俗学の問題といってもいいが、ここは飛騨方言の場なので、大西村の屋号について私見を述べさせていただこう。
君:村の人にとっては必要情報でしょうけれど、それ以外の人にとっては何の意味もない事よ。
私:確かに。「佐七」と聞かされても、ああなるほど、とお思いになる日本人はほとんどいないね。
君:ところで江戸時代の大西村の人々の生業は農林業かしら。
私:そう。全員が農林業だったろうね。現在に生きている大西村の屋号の大半は苗字ではなく個人名だが、その家々のご先祖様の名前が由来だね。当然ながら百パーセントが男性名だ。
君:女性の名前の屋号はゼロね。
私:今も昔も飛騨の文化が男尊女卑という事の証だと思う。私の一番に古いご先祖様のお爺ちゃんが「佐七」であった事は間違いないが、彼の妻には名前がなく「佐七のかか(佐七の奥さん)」と呼ばれていたのだろう。ちなみに僕のお袋の実家の屋号は「きゅうろく久六」、お袋の実家の親戚に「ちょうはち長八」がある。つまり久六・佐七・長八、昔は如何に子供が多かったという事だな。
君:貧乏人の子沢山という事ね。
私:要はそういう事。ところで大西村には「こやさ」という珍しい屋号がある。これはどう考えても人の名前ではない。
君:ほほほ、知っているわよ。「こうや紺屋」、つまり染物屋さんの意味ね。
私:その通りだ。「こんや」のウ音便で「こうや」、これに尊敬語の「さん」が付加されて「こうやさん」と呼ばれていたのが、訛って「こやさ」になったという訳だ。江戸時代には各村々に一軒位は染物屋があった。飛騨の他の村にも「こやさ」の屋号があるかもしれないね。
君:という事は、江戸時代の大西村には染物屋の商売以外は無かったのかしら。
私:そういえば思い出したよ。大西村には「おきや」という屋号があるが、これは「おけや桶屋」で決まりだね。江戸時代は桶を作って売っていた家という意味だよ。
君:推論は結構だけれど、何も証拠は無いわね。 ほほほ

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