大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

太政官布告(明治8年2月13日)

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私:明治の文明開化になっても、文化は江戸時代そのものだから、庶民は相変わらず屋号を用いたり、或いは屋号の無い御家庭は苗字がないという時代がしばらく続いた。業を煮やした政府は太政官布告(明治8年2月13日)にて国民全員に姓を名乗る事を強制した。世に言う苗字強制令。
君:近代国家になるためには、屋号はよろしくないとお考えだったのね。
私:そうではなく、最大の理由は徴兵令だ。実は屋号が無い国民もいた。例えば大西村の百姓権兵衛とか。男子全員に徴兵の義務を課したい明治政府。ところが西欧列強と違って苗字がない日本人という事で、徴兵令どころか戸籍すら作れなくて困ってしまった政府。江戸幕府とは異次元の問題を抱えてしまった。
君:つまりは太政官布告の日を境に苗字を名乗る事は国民の義務になったのね。
私:その通り。江戸時代は勿論、明治になってからも、大西村の百姓佐七の名前で済んでいたのに、佐七君は苗字を名乗らなくてはならなくなった。それまでの苗字はあえて言えば佐七だったのにね。
君:苗字は自由に付けてよかったのね。
私:その通り。ただし従来の屋号を姓に用いる事は禁止された。つまりは平民全員が新しい姓を考えて届けなければならなくなった。田中佐七にしようか、中村佐七にしようか、あるいは徳川佐七にするのはまずいかな、と悩んだ私の明治自時代のご先祖様。全国的に大混乱の時代だった。江戸時代からの加賀屋(かがや)という屋号が捨てきれないので、苦肉の策として加賀谷(かがや)に改姓した例もあるそうな。屋号は加賀屋で、苗字は加賀谷というわけだ。あくまでも推察だが、例えば江戸時代までは鍛冶屋だった屋号の人が梶谷(かじたに)を名乗るようになった例もあるだろう。
君:少し工夫すれば、屋号を姓に変換できるわね。その村での苗字の一番人気とか、二番人気とか、あったのでしょうね。
私:確実に言える事は、親戚同士が集まって、例えば苗字は中井に統一しよう、などと言う風に苗字が決まったという事だ。
君:どうせ名乗るなら親戚同士は同じ姓がいいわね。 ほほほ

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