| 大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
| ゆうぜっく夕節供 |
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私:今日のお話は先だって神岡・山之村にツーリングでいった時の土産話をしよう。 妻:貴方が楽しくても読者の方々が楽しいかは別よ。 私:まあね。ところで五月も終わり、いよいよ6月だが神岡町では鯉のぼりが随分、見受けられた。 妻:端午の節句だから当たり前、5月いっぱいお飾りになるのよ、多分。 私:いや違うな。各家々という感じだった。そこで走りながらピンと来たんだ。つまりは神岡の端午の節句は旧節供、つまり6月5日なのではないだろうか。 妻:なるほど。あなたの大好きな生き雛祭りも旧節句の4月3日だわね。 私:そうなんだよ。だが、故里・高山市久々野町大西村の我が家では5月5日に祝ってもらった覚えがある。若しやと思って https://www.hidatakayama.or.jp/event/2000074/ 高山市サイト にアクセスしたら「飛騨では月遅れの6月5日。近年では5月5日頃から鯉のぼりがあがり始めます。」との事。記憶違いか或いは大西村、というか我が家だけ5月5日に端午の節句をしたのかもしれない。いずれにせよ神岡辺り、つまりは奥飛騨では6月5日が端午の節供だね。 妻:わかったわ。ところで夕節供とは? 私:高山市サイトによると・・5月4日の夜は夕節供ともいい、南飛騨ではマス、竹の子、山椒の芽を入れた鮨を作って食べる風習がありました。・・との記載。これがまた謎で、下呂あたり、つまり南飛騨では5月5日が端午の節供なのかな。それと本題だが、久々野では夕節供は正月の言葉なんだ。正月のうち7日以後の休みの日のその前の晩、6日・14日・19日・27日の晩の事。端午の節句に夕節供とは思わず目が点、大西村では聞いた事が無い。 妻:ネット情報も無いのね。 私:その通り。夕節供って若しかして飛騨だけなのだろうか。しかも久々野は正月で、下呂は端午の節供の前の晩とはね。でも、ふふふ、ありましたよ。 妻:何よ、そのしたり顔。どうせ古語辞典でしょ。 私:その通り。「ゆふせち・ゆふぜち」【夕節】盆・正月との記載だ。つまりは江戸時代までは庶民の楽しみだったらしい。飛騨の今に残る江戸文化といったところだろう。 妻:日葡辞書には記載が無い、くらいは付け加えてよ。 私:おっと、その常套句では読者の皆さまはご納得なさらないだろう。最近、読者の皆さまのご批評も鋭いんだ。Xeccu, Xogachi, Saguachi, Goguachi, Xichiguachi, Cugachi, Goxeccu,これならご満足いただけるだろう。しょうがち・さんがち・ごがち・しちがち・くがち。以上を5節供と言っていたようだね。 妻:へーえ、しょうがつ、じゃなかったのね。大収穫じゃない。古語辞典、調べたわよね。 私:ふふふ、勿論。「しゃうぐわつ・しゃうぐわち」だった。ふふふ、明治の辞書・言海も調べたよ。「志やうぐわつ」だった。江戸時代の途中で「しょうがち」から「しょうがつ」に変化したらしいね。「ぐわち」月《呉音》つまり輸入語。「つき」月は和語。千年変わらず。言海では「せっく節供」なので此も千年変らずかと思ったが、やはり、実は変化していた。 妻:「せつ・く」だったのかしら。 私:いや。違う。「せち」節だ。だから「せちく」夕節供は「ゆふせちく」だったのかな。この広い日本に僕だけのつぶやきだ。古語辞典にも記載が無いのが残念。でもその言葉の存在を信ずる。僕だけのロマンの世界だね。 妻:浪漫主義・ロマンチシズムは大切だわね。ところでどうせ、豆まきの節分は「せちぶん」なんでしょう。 私:その通り。これは古語辞典にもあるし。日葡ではXechibun だ。Xechiye xetye 「せちえ」節会もあった。1/1, 3/3, 5/5, 7/7, 9/9 奇数を重んじる中国の風習の輸入だね。9以外は素数。これら全てを素数にする方法が実はある、8進法だ。9の概念をなくしてしまえばいい。簡単な論理だ。ははは、やはり代数も国語と同じく蜜の味がする。ところで偶数問題、4/4 は何の日か知ってるかい。 妻:3/3は女の子の日、5/5は男の子の日だから・・ 私:だから 4/4 は「おかま」の日だ。 妻:冗談やめて。品が無いわよ。ロマンチックが何よ。 |
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