大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 福井の方言

越前大野方言

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出張には鉄道が多いのですが、別稿の如く、車で油坂峠越えをしました。約百キロ、九頭竜川を河口から源流までドライブしたのです。越前大野市もお目当てです。今回が最初の訪問です。

福井市から大野市までは一本の国道ですから道に迷う事はありません。がしかし、国道及び鉄道の越美北線、両者が常に九頭竜川に伴行する訳でなし、つまりはなだらかな丘陵地帯が続くのみでした。なるほど越前大野は福井の奥座敷、福井市と大野市の間に言語境界などあろうはずもない事が実感できました。

突然に盆地が開けて、感激の大野市入りです。目指すは越前大野城。江戸時代に飛騨高山を開いた戦国の武将・金森長近が築城したのです。盆地の中央に小高い城山があり、頂上に天守閣がありました。麓に車を置いて十分程、坂道を歩きます。

城の印象といえば、正直申しますと小さい。山頂といっても猫の額です。そこにミニチュアのような三層の天守閣がひとつあるのみ。最上階は畳六畳ほどの大きさでしょうか。数人の大人が入っただけで狭苦しく感じます。それでも天守閣からの眺めは絶景でした。大野の平野が隅々まで見渡せます。つまりはここで直感する事があります。金森領大野藩は言語島だったのでしょうね。といっても福井方言にうりふたつだったのでしょうが。佐賀県の鍋島藩を思い出しました。

さて、越前大野から飛騨高山に転封の金森長近ですが、飛騨高山に言語島が出来たのでしょうか。無いでしょうね。高山はだだっぴろい。飛騨一円の大きさは福井県に匹敵するでしょう。金森長近は家臣を連れて高山に移り、それはもううれしかったのでしょうね。町長さんがいきなり県知事になった位の出世だったのです。

結論ですが、金森長近は越前大野を開き、次いで飛騨高山を開いた。がしかし大野方言と高山方言とは何の関係もありません。飛騨金森史、という出版物があり、越前大野方言と飛騨方言の共通語彙が記載されていますが、困った事です。長近は実は美濃の出身です。そもそも岐阜県の男が岐阜県に戻ってきただけの事なのですから。

大野の町の老人、数人と会話ができました。飛騨方言と異なっていた事は書かずもがな。

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