大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 多義語
いまいましい
私:共通語「いまいましい」だが、古語形シク「いまいまし忌忌」である事は書かずもがな、更には同語は「いむ斎・忌」の未然形の畳語の形容詞化である事も。万葉集にもあるから和語動詞だね。
君:ほほほ、古語形シク「いまいまし」は強烈な多義語だわよ。他者に対する不愉快な気持ちを表現するために用いる事が多いけれど、自分自身に対して不愉快であると感ずる気持ち、つまりは大きな獲物を取り逃がしてとても残念に思う事とか。
私:そうだね。逃げた獲物に罪はない。オリンピックで金メダルを逃しても悔しく思う選手は相手に負けたから悔しいのではなく、自分に負けたから悔しいと思うそうだ。
君:つまりは飛騨方言の多義性は、他者に対する不快な気持ち・自分に対する不快な気持ち、この二つという事かしら。
私:早い話がそんな感じだ。飛騨方言では「もったいない」の意味で用いられる事がある。ただし死語。
君:死語の事はあまりお書きにならないほうがいいわよ。いまいましい。
私:おっと、おバンギャグか。「もったいない」は飛州志に出てくる。
君:なるほど飛州志ね。江戸時代(1728年)、幕府直轄領・天領飛騨の代官・長谷川忠崇が記した江戸幕府の公文書。
私:つまり江戸時代に飛騨では「もったいない」の意味で「いまいましい」と言っていた。所謂、歴史ロマンというやつだ。
君:全国広しと言えども飛騨だけの言葉だったのよね。
私:その通り。飛騨の俚言です。理屈はこうだ。実は古語にもある「もったいない」の意味は今昔物語(29,27)に出てくる。自分に関して用いて、しまった(残念だ)と思うさま。飛騨方言ではさらに意味が進化する。「まんじゅうがいまいましい」と言えば、食べられなくってしまった、という意味を通り越して、大事なお饅頭は食べないでとっておきましょう、という意味で、「もったいない」の発想が出てくるんだ。
君:なるほど、抽象、って怖いわね。
私:いや、そこが国語のいいところなんだよ。時枝誠記の国語学言論の骨子だね。
君:いやだ、有坂先生を超えてタナボタで東京帝大教授になったおかたでしょ。
私:いや、時枝先生は立派なお方。国語学言論万歳。
君:いまいましい。
ほほほ