大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 周辺県
富山・長野・飛騨の三角関係
私:今回、テーマとしたいのは各地の伝統方言の違いについて。総論中の総論という事で、飛騨と近隣県についてザクッとした話をしよう。富山と長野は特に重要、わかるよね。
君:距離的・地理的に近いという事ね。富山県と長野県は隣接しているから。でも、石川県も飛騨と隣接しているわよ。
私:いや、白山連峰があるので石川・飛騨は地理的に隣接しているとはいっても方言区画論的には完全に分離しているといってもいい。つまりは金沢の言葉が飛騨に入ってくるとすれば富山経由で神通川を遡上して高山に届くとか、福井県大野経由で九頭竜川を遡上して、油坂峠を超えて、郡上八幡経由で飛騨に届くとか、このルートしかない。もっとも、以上は明治以前の、人の移動手段が徒歩に限られていた時代の話。
君:尾張方言はどうなの。
私:美濃の方言がワンクッションになるし、富山・高山間の距離に比して名古屋(岐阜)・高山間の距離は倍以上なので、尾張方言の直接的な影響は無い。
君:飛騨は冬は雪に閉ざされる地方だから、冬の間の高山・松本の人の行き来は考えにくいわね。
私:いや、実は真冬にも高山・松本間にも人の行き来はあった。「ブリ街道」と呼ばれ、富山湾で初冬に陸揚げされたブリを「ぼっか歩荷」といわれる人達が、正月に間に合うように飛騨高山を経由し野麦峠経由で信州松本まで運んだ。明治時代は飛騨の若い女性たちが信州・諏訪湖の製紙工場に働きに出かけ、年に一度の休日である正月休みに、これまた真冬の野麦峠越えで行き来している。
君:ブリは映画になっていないけれど、工女の話は「嗚呼、野麦峠」の映画作品になっているわね。
私:そう。つまりは、人の行き来という点では飛騨は特に越中と信州との繋がりが深かった。
君:越前や美濃とも人の行き来があったものの、富山・信州のほうが身近であったという事ね。
私:富山・飛騨高山間は22里、飛騨高山・松本間は29里。富山・糸魚川間は21里(86km)、糸魚川・松本間は30里(120km)。つまり富山・松本間だが、高山経由の場合51里(201km)で糸魚川経由の場合も51里(206km)。
君:あら、ピッタリ同じ距離ね。ならば富山のブリは飛騨高山経由でも糸魚川経由でも運ばれたのかしら。
私:いや、富山と糸魚川には親不知(おやしらず)の険しい海岸線が延々と続き、夏の間ですら人の行き来はほとんどなかった。つまり富山湾のブリは全て飛騨高山経由で松本に運ばれた。つまりは飛騨方言は越中方言と信州方言の影響を受けた。
君:なるほど、そろそろ結論ね。
私:うん。富山県と長野県は隣接しているにも拘らず越中方言と信州方言はお互いに影響は無い。つまりは方言区画論的には両者は完全に別の方言。強いて言えば飛騨方言が両者のクッション方言だ。
君:石川県と飛騨は隣接しているけれど金沢の方言が飛騨方言に影響を直接及ぼす事はなく、越中方言ないし越前方言という二つのクッション方言があったという事なのよね。うーむ、飛騨高山にとって一番に近い都は金沢ではなく信州松本だったという事だわ。
ほほほ