大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

富山方言と飛騨方言(序)

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本日はすべてが序です。実は筆者なりに直感していて、こつこつと調査してきた事をいよいよ語り始める時になりました。そしていきなり結論です、これが佐七のいいところ。

結論ですが上代の飛騨は明らかに北陸に比して貧しかった。文明は常に陸伝いに越中から神通川を逆流して言葉とともにとめどもなく流れてきた。そうでないとかくも富山方言と飛騨方言に共通語彙が多い事の説明がつきません。また飛騨方言で他国、せめて隣国にまで普及した言葉なんてのは完全にゼロです。つまりは飛騨方言は百パーセントが輸入語です。

つまりは文化の高いところから低い所へ、文明・流行・イノベーションと称して言葉が流れ込むのは言語学の常識、つまりは飛騨方言の語彙を見る限りはかつての小生のご先祖様がたは北陸の方々よりも、東海地方の方々よりも、・・・つましい生活をしておったのですよ、はっきり言って貧乏飛騨、うう、(*o*;)悲しすぎる。

国民の皆様が、飛騨という言葉で真っ先に思い浮かべられますのは、そう田舎。ど田舎です。山国です。辺境です。海は無い。江戸時代の飛騨の民百姓で海を生涯において見た人間なんてゼロに近い。つまりは飛騨という国は今はいざ知らず、ついこの間、江戸時代までは文化的に最低レベルだったわけ、くやしいこっちゃけどね。

重要な点をまとめに。
まとめ
上代の飛騨の民にとっては、京都よりも、美濃よりも、どこよりも、一番に身近な都だった富山から相当数の言葉が流れてきた可能性がある。やはり名前にトミってすごいじゃない。

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