大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

高等教育(教養部)

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私:まだ早いのかもしれないが、70を過ぎて人生をあれこれ振り返る歳になったのかな。教養部のお話を少し。教養部は大学入学後二年の一般教養課程の事。
君:青春真っただ中、楽しい思い出ばかりね。
私:振られてばかりの切ない時代でもあるね。
君:あら、そんな事があったの。
私:そりゃあ、誰だって一つや二つはあるさ。教養部の目的は(恋愛経験を積む事と)教養を身に付ける事。尤も、二年ボッチでは何の教養を身に着ける事も出来ないが。
君:わざわざ書き出したのには、何か思い出があるのね。
私:複数の先輩からは教養部の間は語学をやっておけと言われた。英語とドイツ語。ここまでは常識的な話。
君:今日も何か、飛騨方言と関係があるの。
私:英語とドイツ語だけでも有り余る時間、教養部時代の僕は日本文学と心中する事にした。暇さえあれば新潮文庫を読んでいた。
君:何冊ほど。
私:数メートルだね。当時出版されていたものの大半を読んだ。松本清張「砂の器」とか、泉鏡花「高野聖」とかね。
君:簡単に説明してね。
私:「砂の器」は出雲方言が事件解決の端緒となった殺人事件、単なる推理小説にとどまらず、戦後の貧困や差別、そして過去を捨てて生きざるをえなかった人々の悲劇を描き出す社会派ミステリー。「高野聖」は飛騨の天生峠(あもう~)が舞台の妖怪小説。
君:あなたの評価は。
私:「砂の器」は小説はよかったが、映画化が、おやおや、という事で、クライマックスの過去の父子の旅路シーンが延々と三十分ほど続いたのには辟易したよ。
君:映画は誰と観たの。
私:秘密です。「高野聖」についても、その妖怪の話す言葉が何とも得体のしれぬ方言、強いて言えば関東風、これにもうんざり。小説には幻想的・耽美的な世界観・美と恐怖・聖と俗、等々の評価が与えられているが、方言学的立場の僕としては、あれは滑稽小説だね。
君:駄目よ、泉鏡花ファンを敵に回すような書き方は。
私:彼は生まれ育ちが金沢市だが、隣県たる飛騨の方言はご存じなかったのでしょう。彼が天生峠を訪れたという直接的な記録や情報も無い。つまりは単なる空想小説。
君:あなたは後にオートバイで何度も天生峠を越えたのよね。 ほほほ

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