大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム いろは歳時記
ずず,だり,おらん
私:「いろは歳時記」の一句、「ずずじゃでな だりもおらんと 中でいい」。この川柳のお題は、居留守。
君:句の内容を簡単に共通語で説明してね。
私:飛騨方言の意味解析としては簡単な部類だ。まずは直訳・逐語訳すると・・(訪問者様へ、この家は)留守ですからね・誰もいませんよ、と(いう事にして家の)中(にじいっとしているという事)でいい・・という事になる。
君:つまりは飛騨方言一般名詞「ずず(留守の音韻変化)」は飛騨の俚言かしら。
私:正解だ。地域は割愛するが、方言語彙「ずず」は「嘘・氷・柚」などの意味の多義語。留守の意味は飛騨だけ。
君:やはりね。飛騨方言不定称「だり(誰)」も独特ね。
私:そうだね。
君:指示代名詞も人称代名詞も飛騨方言と共通語には対応性があるのよね。飛騨方言のコソアドは「こり・そり・あり・どり」、そして自称「おり」・対称「わり」・不定称「だり」。「どれどれ、食べてみるか」が「どりゃどりゃ・・」になるのね。「だれだれ誰々」ではなくて、「だりだり」なのね。
私:その通り。
君:この句は東西の方言対立が理解できる句ね。「いる・おる」及び否定の助動詞「ない・ぬ」に於いて飛騨は西側「おらぬ」という事ね。
私:いかにも。飛騨方言特徴は畿内文法であるという事。
君:そして東京式内輪アクセントね。
私:うん。さてさて、居留守の問題について私見を述べさせていただこう。社会性と言う意味で居留守は問題視されるのだろうか。つまり倫理学的な捉え方。ただしアドラー心理学(ゲシュタルトの祈り)やカール・ユング心理学では必要な事であると教える。アドラーによれば、(訪問者様へ)他人の領域に土足で入ってはいけません。ユングによるペルソナ(Persona)と影(Shadow)の概念の理論では、影を正当化するためのペルソナの行動になり、それは人間の自然な姿であるが、この姿にそもそもが道徳的規範は無い。
君:つまり、居留守は心理学的に捉えると、つまりは国語学的には名言ね。
ほほほ