大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム いろは歳時記
いか、てんづく
私:「いろは歳時記」の一句、「いかのぼり あがれ あがれ てんづくまで」。
君:句の内容を簡単に共通語で説明してね。
私:たこ たこ あがれ 天まで あがれ。
君:なるほど、たこあげ、の事を飛騨方言では「いかのぼり」というのね。「たこ」も「いか」も海にすむ生物で、昔の飛騨の人たちは区別がつかなかったのかしら。
私:方言学的には西日本は「いかのぼり」、東日本は「たこあげ」。元々は全国的に「いかのぼり」で東西対立はなかった。火事と喧嘩は江戸の華と言われるが、「いかのぼり」が庶民で大流行で、喧嘩凧も。見かねた江戸幕府は明暦元年(1655年)に「いかのぼり」禁止令を出した。ところがそんな事でひるむ江戸庶民じゃない、「これはイカではありません、タコです」という屁理屈に流石の幕府も屈服、以後は江戸では「いかのぼり」改め「たこあげ」になった。
君:江戸の文化が飛騨には届かなかったという事ね。
私:かもね。さて現実のお話を。僕は飛騨の片田舎の生まれ育ちで、「イカ」には郷愁を覚えるね。正月あたりの御馳走と言えば日本海で採れたイカの塩漬け、あの当時、冷蔵庫は各御家庭に無かったからなあ。タコなんて見た事も食べた事もなかった。
君:つまりタコは当時、高嶺の花だったのね。
私:子供だったんだぜ。そんな事、知るかい。イカの塩漬けを正月に食べた記憶しかない。
君:「いかのぼり」のお話はそのくらいにして、「てんづく」とは「てん天」+「つく」という複合名詞だと思うけれど、語源があるのかしらね。
私:ははは、飛騨方言の「てんづく」は「てんじく天竺」の訛りだ。つまりはインドの古名。但し、凧揚げをする子供らにそのような知識があったのかも、とは到底、考えられない。つまりは「てん天」の意味で使っていたという事じゃないかな。飛騨方言では「てん天」の意味で、「てんずち」「てんずし」「てんかち」などと言う。
君:要するに深い意味は無いという事ね。
ほほほ