大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 中部方言「みえる」
先生が見える(尊敬)・犬(山)が見える(受け身・可能・自発)
私:東海地方では「おみえになる・いらっしゃる」の意味で使われる尊敬語「みえる」だが、如何に偉大なる名古屋・東海地方とは言え、「みえる」を尊敬語としては使わない事がある。
君:なるほど、つまりは東海地方で用いられる「みえる」は全てが尊敬語表現ではない、という事ね。
私:いかにも。そもそもが尊敬語の基本だが、人に対して使うもの。つまりは東海地方とて「みえる」が動物や物に対して使われる場合は「見る事ができる(可能)」ないし「視界に入る(自発)」の意味になる。要するにこれは助動詞(る・らる)の使い分けが飛騨方言と共通語では違うという事。
君:そんなの当たり前よ。
私:つまりは東海地方の敬語体系は日本語の敬語体系と矛盾しない。「犬が見える」と言えば普通は「犬がいる」という意味。「山が見える」と言えば普通は「山が視界に入る」という意味。ただし、例えば「大西村の村長・佐七家には大変に立派なお犬様が見える」と言えば、これは尊敬表現になる。例えば「御岳山は日本の中心で太古の時代からそびえたってみえる」の尊敬表現もあり。アニミズムってやつだよね。要は人間以外に動物、植物、無生物などを擬人化して霊魂が宿っているという民俗学用語。
君:犬はともかく、御岳信仰は全国区ね。本日の結論は要するに助動詞「る・らる」問題ね。共通語と飛騨方言では少し違うのね。飛騨方言は古語的。けれど、敬語体系としては共通語と同じ。
ほほほ