大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 中部方言「みえる」
共通語としての「みえる」
私:無意識に使っている言葉に法則が見いだされる、という事で、「気づかない方言」に気づいて方言と言うものに興味をもつというのはよくある事。
君:回りくどい言い方ね。「気づかない方言」発見が方言研究のきっかけになる事が多い、と言う意味ね。
私:そう。中部地方の敬語表現「みえる」に僕が興味を抱いたのはまさにそんな状況だった。今でも思い出す。十年前の事。どなたかが「共通語では【おみえになる】というのであって、尊敬表現【みえる】を使うのは名古屋という田舎の言い方ですよ」、と仰って、これが胸に刺さった。
君:それでどうしたの。
私:当時すでに当サイトに二千ページ以上の原稿を書いていたので、方言サイト管理者たる僕が方言に気づかないでいるとはまずいな、と考え、直ちに行動に出た。
君:つまりは二千ページ以上の原稿を「おみえになる」で統一したのね。
私:その通り。何週間もかかった。修正箇所は膨大だった。「見える」「みえる」の活用も全て列挙し、原稿の全文検索を行い、ひとつずつ修正した。時間はかかったが、とにかく成し遂げた。自分自身の普段の言葉遣いにも気を付けるようになった。うまれてから十年前まで無意識に使い続けてきた「みえる」だから、口から自然に「おみえになる」の言い方が出てくるのには、それなりの訓練が必要だった。
君:それで、今日のテーマは。
私:確かに中部地方では「みえる」尊敬表現を使う人が多いが、それでもマスコミなどを注意深く聴いているうちに、全国でパラパラと「みえる」尊敬表現が使われている事を知った。あまつさえNHKの番組の中でも使われる事が時にある。こうなってくると、再び原点回帰だ。つまりは「みえる」尊敬表現は殊更に中部の方言扱いしなくてもいい、共通語という認識で使っていいのだろう、と思うようになってしまったんだよ。
君:「みえる」を中部地方で使っている分には全く問題ないし、東京で使っても、大阪で使っても、きちんと尊敬の意味で通るわね。第一に、自ヤ下二「みゆ」は、そもそもが「来る・居る」の尊敬語だったのだから当然と言えば当然ね。
ほほほ