大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 戦後

戦後の飛騨方言・飛騨方言における複合助詞の短呼化

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散文調ですみません。炎のリンク>飛騨の地勢その他のリンク集にこっそりと飛騨地方の噂、という銘サイトのリンクを張りましたが、お暇な方は読んでください。抱腹絶倒。一言でいいますと、やはり飛騨というのは広すぎるのですね。香川県・東京都以上です。そして並みいる平成の大合併フィーバーの中でもいよっ!広さだけは日本一・飛騨の高山市!やったぞ!そやでおりゃ高山が好きなんや!

冗談はさておき、小生のかつて住んだ大西村。昔も今も戸数がたった五十戸なんですよ。村の画像は中央分水嶺・天下一の泣き別れ・佐七がしびれてまう言葉をどうぞ。ですからザ・飛騨弁フォーラム、ときばらなくても、いろいろバリエーションのある飛騨方言のなかでも、大西村弁・私の村の言葉です、と発信さえしておけば(Yeah! That's the way, it is.)あまり悩まなくてもすまなかったのですが。

そこを敢えて小生が何故、ザ・飛騨方言、と訴えたいかを一言で言えば、文法の骨格・基本語彙がおそらくはこのだだっぴろい飛騨全体で共通、つまりは共通言語圏であろうと信じているからです。小生はかつて飛騨の高校を卒業しました。つまりは友人が一挙に飛騨全域に広がった訳です。上宝からも、白川からも、神岡・古川からも、下呂からも高山の高校をめざす(今も昔も)。皆、飛騨方言を話している、間違いなく共通語飛騨方言というものが存在する、その気持ちは今も昔も変わりません。以上が前置きですが。

本題です、まめなかな(=まめですか、元気ですか)、という言葉を聞いて、エッそれって若しかして飛騨方言ですかあ!、と小生がびっくりすればそれこそ飛騨の読者の方がびっくりされましょう、これこそ飛騨を代表する言葉。でも一昔前、大西村では、まめなかいな(=元気なかいな?)、と言っていたんですよ。さらなる議論はまめなかなかをご参考までに。

さて助詞・か、を用いれば疑問文になります。例えば、このみたらし団子は五十円か、でも、このみたらし団子は五十円かい、と言う事だってありましょう、古語辞典の丸写しですが、助詞・か、に、さらにもう一個の終助詞・い(文の終わりに付いて語気を和らげ、親しみを表す語、狂・薩摩守。金田一春彦著・新明解古語辞典)が付随していったいなんぼのものですか。

つまりは、五十円か?!といえば、高いじゃないかまけろ( Expensive! Is'nt it??)、という事を暗に示しています。なにせ皆貧乏ですから。でも、五十円かいと言えば、いつもの五十円よね・安いわ、とか、叔父さん一日に十本しか売れないのに五十円で頑張っていて有難う ( Wow! How wonderful!! Low price, every day!! ) 、 という意味が含まれているからこそ、終助詞・い、なのですね。

つまりは、五十円かい、ですべては商談成立、売り手も買手もその値段のそのサービスでお互いが納得する、という美学が働くわけですね。そうでなければそもそも、わざわざと終助詞・い、が発生する意味が無かったのでは、と筆者なりに考えます。

やっと本題ですが、秀サイトひだ弁 松じいと語っていかさいの。をご参考までに。わかるけな、とは、共通語・わかるかいな、という事です。つまりは飛騨方言においては、疑問の助詞・か+念を押す終助詞・い、の複合助詞・かい、が既に、助詞・け(新語)、に置き変わろうとしています。また前述の、まめなかいな->まめなかな、は複合助詞・かい、から助詞・か、への逆戻り現象です。以上を踏まえて大胆な結論は以下のやや長めなまとめに。
まとめ
▼複合助詞・かいな、の短呼化・かな、ないし短呼化・けな、は飛騨方言の比較的最近の語変化の可能性がある。 ▼複数ネット情報を見る限り、若い女性の言葉遣いにこの複合助詞の短呼化が多いといういくつかの事実がある。 ▼この飛騨方言の複合助詞短呼化現象は(実はこれが言いたい)携帯メール文化と決して無縁ではない 。 ▼つまりは携帯メール文化には意味が同じなら複数語を一語文で済ます、つまりは意味をつきつめる、語数を減らす、という意識が働いている可能性がある。 (パケ代の前には風前の灯火の複合助詞というわけです。) ▼ところが語数を減らしすぎると情感が伝わらない、 ▼と言う事で結局はやはりなんとしても情感を伝えたいと言う事で 複合助詞の代わりに絵文字を用いる文化が発展しつつある。(@o@)=つい使っちゃう佐七のびっくり顔。 ▼(再び複合助詞に戻って) 国語の先生は言う、正しい言葉遣いを覚えましょう。といっても、~かな・~けな、がええんかわるいんか、佐七には、かんにんな、わかりまへん、と言う事で好きなように書いたらよろし。

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