大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 戦後
戦後の飛騨方言・飛騨方言における戦後の男子第一人称
筆者が小中学校教育を受けた 1960 年代ころのお話を。生まれて物心ついた頃の私は自分の事を、おりぃ、といっていたのでしょうね。身近の男性、父・祖父、近所の男性、等が皆そういうのですからまず間違いありません。従って友と遊ぶ時も自称は、おりぃ、です。ところが小学校では教科書を習う、言葉使いを習うという事で、徹底的に、僕、を使うように指導されます。またそれはそれ、小学生というのは純粋ですから順応性もあるし、また担任やら親に言葉使いをほめられるとうれしいのですね。
かあちゃん、ぼかあ今度、学級委員になったんやぜ。
などと嬉しそうに話してしまうのです。がそれも小学校どまり、中学生ともなると先生に対しては僕を用いるものの友に対してはおりぃ、を再び用います。僕、というのはいかにも中学生にしては幼すぎる言い方、というわけです。
高校生ともなるとまた一段と大人びてくるのですが、先生に対しては中学生時代同様に僕でいいものの、友に対して、おれ、を使う輩(やから)が出てまいります。つまりは、田舎の中学生・おりぃ、を卒業、少し都会らしく、おれ、を使うのですね。いつも私にこういう友人がいました。
大学はやはり早慶だ。おれは早稲田をめざすぜ。
うーんわかりますねえ、その気持ち。だって数年したら飛騨の田舎の高校生が晴れて花の都の東京で大学生になろう、というのでしょ。完全に異次元空間じゃないですか。その時にあわてないように、とちらないように、つい飛騨方言をしゃべって身元がばれないように Now let's learn 共通語。私は彼の本心がわかりますから、なんやわりゃ言葉だけはや東京語になってまって、ちょっとかっこうつけすぎなんでねえが?などとからかう事は出来ません。
さて、晴れて大学生・あるいは社会人になると、飛騨の男子は自分の事をわたし、というようになるのですが、これもなんともはや嬉しい、というか気恥ずかしいというか、恩師を囲んでの同窓会で、
先生もお元気そうで、わたしも何とかやっています。
なーんちゃって、と言う事なのです。あーれ先生もまめそやなあ、おりぃもなんとかやっとるさ、でもいけなくも無いんですけどね。