大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代の飛騨方言

両面宿儺

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私:両面宿儺と書いても、読める人は少ないだろうね。りょうめんすくな、飛騨に伝わる神々の時代の伝説。
君:それが古代の飛騨方言と関わりがあるのかしら。単なる神話なんでしょ。
私:世間様の認識というものはそんなものだろうね。神話、伝説と来ると、なんだか荒唐無稽なお話という事になってしまう。事実、両面宿儺は顔が二つある化け物というような意味。両面については説明の必要は無いが、宿儺は実は固有名詞。
君:実在の人物ではなさそうね。
私:いや。列記とした実在の人物です。
君:冗談言わないでよ。理論的に説明してね。
私:根拠は日本書紀。
君:日本書紀の編纂は天武天皇が681年にお始めになり、最終的に舎人親王(とねりしんのう)が編纂、720年(養老4年)に完成したのね。
私:その日本書紀に両面宿儺の記載がある。「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」
君:要は、朝廷軍の将・武振熊が飛騨の両面宿儺を滅ぼした、と書かれているのね。
私:そう。武振熊は、たけふるくま、と読む。武振熊は実在の人物だ。
君:いつの人かしら。
私:彼は仲哀、応神、仁徳の三天皇に仕えた武人で、歴史学的には4世紀から5世紀前半にかけての人。
君:正確な年代は不明なのね。
私:その通り。天武天皇は七世紀の人、日本書紀の完成は八世紀。つまり武振熊と両面宿儺の戦いといっても、日本書紀の時代の二百年以上前の戦記であり、伝承を集めただけのものと言ってもいい。但し、実在の人物たる仁徳天皇の実在の部下が飛騨で朝廷に背く一団を退治した、と日本書紀に書かれているのだから、両面宿儺という実在の豪族が飛騨にいたと信ずるしかないだろう。大和朝廷の全国制覇の歴史の一コマと言ってもいい。顔が二つというのは宿儺の反乱の二世紀後の日本書紀の脚色だよね。
君:まあ確かにね。
私:こうも考えられる。仲哀、応神、仁徳の三天皇の当時の日本と言えば、それは畿内を指す。飛騨は遠く異郷の地であり、飛騨は外国、飛騨人は異民族、そんな時代だったという事。
君:なるほど、従って両面宿儺伝説の時代の飛騨では倭語は話されていなかったのじゃないかしら。
私:まあそんなところだ。強いて言えば北方系の民族の言葉だったのでしょう。アイヌ語に近いものだったのかもしれない。大和民族に両面宿儺の民族は滅ぼされ、飛騨は日本の一部、日本の辺境となった。それでも飛騨の更に東は北アルプスが立ちはだかり、そこは蝦夷(えみし)が住む国だった。
君:坂上田村麻呂、平安時代初期の武人・公卿、延暦20年(801年)に征夷大将軍となり、東北征伐ね。
私:そう。坂上田村麻呂は律令時代の人、当時は飛騨工(ひだのたくみ)が延べ数万人、都の造営に駆り出されていた時代。律令時代ですら飛騨工は都では田舎言葉が意味不明の野蛮人と蔑(さげす)まれていた。
君:どうしてそんな事が判るの。
私:なんとその飛騨方言の事が東大寺の文書に残っている。動かぬ証拠。これも国民の皆様の大半がご存じない事かも、飛騨方言は日本における方言認定第一号なんだぜい。イェーイ
君:認定第一号は奈良時代の飛騨方言ね。それじゃあ、若しかして、両面宿儺の時代の飛騨の言葉というものは消滅した幻の言語だったかもしれないわね。
私:証拠はなにもないが僕はそう確信している。飛騨の言語の大和語化は宿儺の反乱平定後から始まり、律令制の飛騨工人頭税制度で決定的なものとなったに違いない。奈良時代に、異郷なのに都の言葉の直輸入という、ヘンテコリンな飛騨方言が出来たという事。わしらがはなしとる飛騨方言が産声を上げたんや。ぶっ
君:結論はひとつね。
私:征服者の言語が栄え、被征服者の言語は滅ぶ。
君:ワンサカと例がある世界の諸言語を引き合いに出すまでも無いわね。古代・太古の飛騨人よあわれ、弱小民族の言語ってあっさりと滅ぶものなのね。 ほほほ

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