大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代の飛騨方言
Proto-Japonic
私:今日は表題の言葉、日琉祖語について。
君:あら、元々は英語の言葉だったのね。
私:どうもそのようだ。日本語のルーツを知るのに最重要な単語といってもいいが、Samuel Elmo Martin、Thomas Pellard(トマペラール、仏)、John B. Whitman、等々の外国人によって研究されてきた戦後の概念。残念ながら昭和55国語学大辞典(国語学会編)には記載がない。
君:日本人の研究者はいったい何をしていたのか、とでも言いたげね。
私:服部四郎さんなんかが頑張った。外国人の方々は彼に感化を受けた可能性がある。日本語の原型は広く本土方言・琉球方言の共通祖先らしいという事で日本語訳は日琉祖語となったが、誰が日本語訳したという事でもなく、いつしか自然に皆が使う言葉になったらしい。この和訳が輸出されて Proto-Japanese-Ryukyuan とも言うらしい。ちょっと長いね。
君:今日は取り留めのないお話ね。
私:日琉祖語がやがて倭語、つまりは邪馬台国の公用語になり、やがて大和朝廷の言葉、奈良時代の言葉、というように発展してきた。ここまではよし。僕は長らく日本語を理解するには琉球方言を理解しなくては、という精神的呪縛に悩んできた。琉球方言は難しいからなあ。ところで倭語と言えば弥生文化、つまり稲作文化だよね。大陸から弥生人が稲作技術と弥生語を日本にもたらした。倭語と弥生語は同意語あるいは前者が後者の母語といってもいい。
君:何を言いたいのか、意図が読み取れないわ。
私:大きな疑問が生まれる。沖縄に縄文遺跡はあるが、弥生遺跡はみつかっていない。
君:なるほど。稲作文化が伝わらなかったのね。
私:氷河期に海岸は低くなり日本列島は大陸と地続きになり、大陸から沖縄にやってきたのは縄文人。もっとも縄文人の前に沖縄には現生人類の湊川人が住んでいた。
君:つまりは大陸から弥生人が日本にやってきたといっても氷河期以降の話で、朝鮮半島の南から九州に舟でやってきたという意味ね。
私:その通り。彼らは九州一円に拡散し、やがて南西諸島を南下する形で沖縄に到達、縄文人と融和した。こうしてできたのが日琉祖語。つまり日琉祖語の鹿児島南下説。これが最有力説らしい。そりゃそうだろね。沖縄は縄文文化からやがて貝塚文化になる。つまりは、沖縄貝塚文化=日琉祖語文化=古代琉球方言という図式が成り立つ。
君:中国大陸から台湾・石垣経由で琉球に日琉祖語が伝わったわけではないのね。
私:断じてノーだろう。日本語と(古代)朝鮮語には音韻上の近似性があり、朝鮮半島の南部の倭人が北九州へ倭語をもたらしたというのが定説。でもまた新たな疑問が生ずる。大和朝廷(近畿)あたりの時代には九州に熊襲(くまそ)と隼人(はやと)がいて、大和朝廷とは通訳が必要だったと続日本紀に記載がある。金印が見つかったので邪馬台国九州説を信じたいが、言葉からすると矛盾だらけだね。沖縄もその後は琉球王朝になる。こうなってくると沖縄ももはや外国。日琉祖語の存在そのものを疑いたくなる。
君:それは世界の言語学者様がたを敵に回す発言につき、撤回なさったほうがいいわよ。
私:そうだね。ところで質問、弥生時代は何年続いたか。
君:小学校で習うわよ。六百年から千年ね。
私:その通り、ところで弥生文化、つまりは稲作文化だが、何年で全国に広まったか。
君:多分、じわりじわりと。
私:違う。北九州に上陸した稲作文化は瞬時に青森県まで伝わった。といっても百年か二百年。どうしても伝わらなかったのが津軽海峡。蝦夷地に稲作文化は遂に伝わらなかった。つまり縄文時代は瞬時に弥生時代に変わったものの、言葉は縄文語から弥生語(倭語)に瞬時に変わったわけじゃない。蝦夷(えみし)は朝廷の支配下に入っていなかった東北地方に住む弥生文化の人々を指す言葉。特に奈良時代から平安時代初期にかけて「三十八年戦争」と呼ばれる大規模な征討戦が繰り広げられた。最終的に坂上田村麻呂ま東北征伐で大和政権下になる。大和朝廷の長きにわたる全国制覇の結果としてじわりじわりと倭語が全国に広まったんだ。飛騨方言に関しては日本書紀に記載されている両面宿儺伝説がこれに当てはまる。
君:倭語は沖縄にいち早く伝わった結果として琉球方言は本土方言と似ても似つかぬ言葉になったのじゃないかしら。それに飛騨にも弥生遺跡が無い点は、飛騨は沖縄と瓜二つよ。
ほほほ