大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 中世

平安時代の飛騨方言・飛騨方言・またじの由来考(金沢・富山・飛騨の三角関係)

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飛騨方言で片付けの事をまたじ、後片付けをあとまたじ、雪かきを雪またじ、といいます。語源についてのネット情報は皆無に近いのですが、別稿・またじ・あとまたじ・ゆきまたじをご参考までに。 やはりどう考えてみても古語形容詞・まったし、が語源でしょうね。そうではないと思った方よ、さようなら。

さて古語形容詞・まったしの年代測定をしましょう。古語辞典の文例を見るのです。鎌倉中期の説話集・十訓抄(じっきんしょう、じっくんしょう)の文例あり、また、古事記・中・やまとたけるのみことの歌に命いのちの全またけむ人は~、があり、まったし、という言葉が日本語でも最古参である事がわかります。尚、日葡辞書に Mattacu がありました。まったし、またじは日葡辞書にはありません。つまりは、まったしょうする(完全にする、つまり片づけをする)、という言葉は平安時代あたりに京都で盛んに話されていたのでしょうね。

さて、またじ、といっても実はこれ金沢方言なんですよ。飛騨の人はびっくりするでしょう。金沢市民の皆様へ、失礼しました、またじは飛騨でも同じ意味です。びっくりなさいましたか。ところが同じ意味で富山方言では、またい、です。(佐七もほんとまたいなんて言い方知らんちゃ。富山方言のつもりなんですよ、実は。)

賢明な読者の方はもうお気づきですね。京都から金沢へ、また一方京都から飛騨へも、またじが伝播し、この言葉が金沢から富山へ伝播する時に、またい、に訛ってしまったのです。富山で訛った言葉・またい、が飛騨に伝播し先祖がえりをして再びまたじという言葉になった可能性は断じてありません。秋の観光シーズン、バスの余興で最前列から最後尾まで言葉リレーをしますね。言葉がいったん間違って伝わるとそれはもう修正不可能なのです。

おそらくは律令時代の京言葉・またじ、がなぜ金沢に伝わったか、距離が近かったからですね。おなじ言葉がなぜ美濃を飛び越えてストレートに飛騨にも、といえば飛騨工が持ち帰ったのでしょう、なにせその数延べ四万人。辺境飛騨に律令時代の京言葉が方言として残っていてもなんら不思議はありません。

またなぜ、富山方言では訛ってしまったのか、これも私には何となくわかります、なにせテンポが速い何でもかんでも詰めて話す、"またじ"が"またい"になる事こそ富山方言の本質のように思います。重要点をまとめに。
まとめ
★またじ(=片付け)は金沢・飛騨の共通方言であり、古語形容詞・まったし、に由来し、律令時代の京言葉の可能性がある。若しや飛騨方言としては最古参、一千年の歴史があろう。★さらには、京言葉であろうまたじは金沢へは陸路で、飛騨には都に出張を繰り返した飛騨工によりもたらされた可能性がある。★石川県と飛騨は隣接するが白山が両言語圏を分断しており、金沢方言・またじ、が飛騨に伝播した可能性はまず無いであろう。★富山方言・またい、は金沢から陸路でもたらされた言葉の歴史的な訛り、つまり後代・近代の言葉の可能性がある。飛騨・富山・金沢の三者の文化の差を考えると飛騨から富山へまたじが伝播した可能性は無いであろう。★以上の推論が正しいと仮定すると、富山方言・またい、が飛騨に伝播しなかった事実の理由は書くまでもないが敢えて、飛騨には同意語・またじ(畢竟、京都からの直輸入語)が平安時代に既に存在していたからである。

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