大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 動詞
飛騨方言の動詞活用におけるサ行イ音便
共通語で例えば、お金を出した、というのを飛騨方言では、お金を出いた、といいます。す、で終わる動詞のイ音便化という事で、方言研究にかまびすしい、"サ行イ音便"という名のテーマです。全国各地の方言になっています。
県内ではかつて、恵那方言、美濃方言「こわく」(岐阜大学)
などのネット発信があり、飛騨地方だけでなく、岐阜県全体で使われている可能性が高いと考えます。
さて、飛騨方言ではどんなサ行動詞がイ音便化するのかというと、以下のようなルールが考えられます。あるいは、全国のサ行イ音便使用地域に共通する部分もあろうかと思います。
(1)サ行の方言動詞、俚言動詞はイ音便化しやすい。
方言は古語に由来する古い言葉、共通語は新しい言葉、そしてサ行イ音便は古い言い方である事を考えれば当然の結論ともいえます。当サイトの不肖佐七辞書にあります以下の44種のサ行飛騨俚言動詞は例外なくイ音便化すると書き添えておきましょう。
あまらかす いいからかす いざらかす いたまかす いのかす
うしなかす うしならかす うむす おくらかす おこらかす
おこりっからかす かっからかす かやす きやす くさらかす
くつばかす くます けっからかす げばす ごうわかす
こぼらかす こまらかす こわかす ごわかす こわす
しおらかす ~しからかす そい残す だまくらかす とぼす
とんがらかす ぬらかす のうならかす はならかす はやらかす
ふけらかす ふとらかす ふわかす へらかす もやす
やらかす やりからかす やんだす わらかす
(2)語幹が同じのカ行動詞がそもそも存在しないものはイ音便化しやすい。
どういう事かというと、飛騨方言に、やんだす、という動詞があります。遣り出す、が訛ったものですが、やりだく、という動詞はそもそも存在しないので、やんだいた、と話しても、間違いなく、やんだした、という意味で通じるわけです。
こわす、という動詞は、こわいた、とイ音便化しますが、こわく、という動詞がそもそも存在しないため、意味の混乱は起こるべくもありません。
(3)語幹が同じのカ行動詞、サ行動詞があっても、ひとつのサ行動詞がイ音便化するかどうかは会話の流れで決まる。若し意味が混乱しなければイ音便化するのが自然であり、若し意味が混乱すればまずイ音便化しない。
冒頭、お金をだした、の例ですと、だく(抱く)、という動詞はイ音便化しますので、ダイタ、と発音しても、抱いた、という意味なのか、出した、という意味なのかわかりにくいので、やはり話すのに躊躇する人が多いということで、かつては共通語であったサ行イ音便もすたれる傾向にあるのもむべなるかな、という事です。が、しかし・・・
(#3A)さて、飛騨方言では、否、むしろどこの方言であっても、お金を財布からだいた、といえば、出した、という意味に決まっています。また同様に、母親が赤ちゃんをだいた、といえば、抱いた、という意味に決まっています。
(#3B)ところで、お金をだいて寝る、といえばどうなるでしょう。抱いて寝る人もあれば、給食袋に出して寝る人もありましょう。
飛騨方言では、このように意味の混乱を嫌う場合には(#3B)、たちどころにサ行イ音便は使われなくなります。出す、というひとつの動詞も時によりイ音便化(#3A)したり、(#3B)しなかったりする、というわけです。
あるいは、厳密には、サ行イ音便は個人の使い癖というものがあるはずです。ちなみに私・佐七の癖はお金を出いて寝る事は日常茶飯事ですが、一度もお金を抱いて寝た事はありません。
(4)語幹が同じのカ行動詞、サ行動詞があって、会話の流れで意味が混乱しやすければイ音便化しない。
例えば、むく(剥く)、と、むす(蒸す)、のお料理専用の対の動詞があります。クリをむいで、むいで、---(×)
といえば、まずクリの皮を剥きて、しかるにこれを蒸して、という意味には違いないのですが、聞きづらい事このうえなし、ですから、飛騨方言では、クリをむいで、むして、---(○)
といいます。飛騨方言では、蒸す、はイ音便化しません。がしかし、蒸すと同じ言葉で、飛騨方言動詞・うむす、があります。そして、うむく、という動詞はそもそも存在しません。ですから、飛騨方言ではクリをむいで、うむいで、---(○)
とも言うのです。うむいで、は、共通語・むして、の意味で間違いなく通るのです。
(5)共通語の動詞・ます(増す)は絶対にイ音便化しない。
地元の人でなければわからない明確な理由があるのです。ました(益田)川、ました(旧・益田)郡と呼ばれる地名が理由です。ちなみに益田川は飛騨川の上流をいい、旧・益田郡は現・下呂市です。昔から呼び慣れた地名、慣れ親しんだ名前なのです。旧・大野郡の大西村は実は明治時代は益田郡阿多野郷大西でした。誰が好き好んで、ましたがわのみずかさがさらにまいた、などと言いましょう。この川の水かさが増した場合は、飛騨の人は誰でも、ましたがわのみずかさがさらにました
益田川の水かさが更に増した
(うーん、さすが郷土のましたがわ)
と、必ずや言うはずです。
増す、巻く(あるいは捲く、蒔く、等々)、という対の動詞との意味の混同を嫌うという以前の問題です。文法の問題ではありません。