大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

とりたて表現

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私:今日の雑談は「とりたて」。
君:ここって文法の総論を語る場のようだから、少し場違いのような気がするわ。ネット検索すると「とりたて表現」とか「とりたて助詞」などの言葉が散見されるので、国語学、しかも文法のお話である事は間違いないにせよ。
私:日常語で「とりたて」と言えば、借金の取り立て、つまりは容赦なくお金をむしり取る事の意味で使われるが、他にも用例はあるね。
君:社長に取り立ててもらって新企画を実行できた、の意味ね。
私:ああ、そうだ。特に目をかけてもらう事の意味だが、「とりたて表現」の意味はそれに近い。
君:わけのわからない前置きはやめて、結論を一言でお話なさいませ。
私:そもそもが文法とは、文を品詞分解して品詞間の論理的つながりを解析する事、という些末な考えに陥ると、言外の意味というものを無視してしまう事になるが、日常会話においてすら、常に相手との間に共通の認識というものがあって、言語というものは成り立っている。
君:わけのわからない前置きが続くのね。いっそのこと、例文を出してくださらないかしら。
私:そうだね。「おっ、今日はお化粧ですか!」、この場合、「は」は係助詞。ただし、いろんな意味を持っている。「普段はお化粧なさらずにスッピンで勝負為さるあなたがお化粧なさるとは、でも、なかなかお似合いですね」のような意味合いで使われるのかな。係助詞「は」は主題の提示という機能がある。つまりは「昨日まではお化粧なさらなかったあなたなのに、明日の事もお気持ちも僕には予想できませんが、今日に限っては(まさかの)お化粧ですか。」という意味が「は」には含まれている。
君:それは係助詞の機能そのもの。そんな事、当たり前よ。
私:たった一モーラの品詞でも複雑な機能を持つ。助詞を分類したのは山田文法(山田孝雄)だが、以後、松下文法。橋本文法、時枝文法、等々、学者の数だけ文法が現れたが、簡単に言うと品詞の再分類という事、ところが奥津敬一郎(1974)「生成日本文法論」は「とりたて詞」の概念を世に問う、というセンセーションな本だった。
君:生成文法といえばチョムスキー、つまりは英語の言語学の導入という事かしら。
私:断じてノー。「とりたて」に対する英語の概念は無い。「とりたて表現」「とりたて詞」は、被修飾詞の持つ意味が、限定・反限定、極端・半極端、類似・半類似、の何れに属するかを規定する品詞。純粋なる国文法概念。というか、従来の品詞分類では説明が困難な、文法の上を行く概念といったほうがいいかも。そのへんの突っ込みはやめておいて、「とりたて詞」とは係助詞と格助詞の一部、これらをひっくるめて「とりたて助詞」という。また副詞の一部にも多くの言外の意味を含むものがあり、「とりたて副詞」という。「とりたて助詞」と「とりたて副詞」を合わせて「とりたて表現」という。
君:英語にはないのね。
私:当然の疑問として、日本の国文学者がたが英語を調べたところ、 even also などの一部の副詞がそれに近い機能を持つことが分かった。屈折語たる英語には助詞が存在しないので、当然と言えば当然の結果。
君:おばかさんね。言外の意味を読むという点において、英語だって「とりたて表現」だらけよ。 ほほほ

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