大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法各論
形式体言
私:文法を語るのに避けて通れないのが山田文法。「形式名詞」については既述した。これに関連して、山田文法では「形式体言」という言葉を用いる。
君:つまりは「形式名詞」は「形式体言」に含まれるのね。
私:ところがそうじゃないんだ。山田文法の骨格に連体詞を認めないという考えがあるが、それともうひとつの山田文法の概念は、名詞を「実質体言」と「形式体言」にに分類し、「形式体言」は「代名詞と数詞」と定義する。「代名詞と数詞」は諸文法に共通の概念。
君:では山田文法における形式名詞とは実質体言に属するじゃないの。形式と実質を分けるものは何なの?
私:山田文法では「実質体言」を具体的な事物そのものを表す体言と定義する。そういう意味では彼が言う所の「形式体言」は「形式名詞」を内包するという事になるが、実際は「代名詞と数詞」と定義しているので、論理的に破綻していると思う。体言は「実質体言」「形式体言」「形式名詞」に三分類されるとでも定義すれば話はまた違ってくるんだけれどね。
君:そうなってくると山田文法に対する批判も多いわね。
私:和辻哲郎による批判などが有名。ただし衒学的な内容で、佐七には意味不明。続いて現れた時枝文法は山田文法の鬼っ子と言われる。これも意味不明。わかりやすく解説すると、学歴のない山田孝雄(よしお)の文法は日本の文法学の金字塔。これに対して東京帝国大学一派が繰り返し寄ってたかって批判を繰り返し、戦前の橋本文法、戦中の時枝の国語学言論を経て、戦後の学校文法が確立され、東大が圧勝したという日本語文法史の裏の顔、まさに闇の世界。山田文法は「単語(観念語(=自用語(=概念語・陳述語)・副用語)・関係語)」という構造の日本語概念。すっきりしているが、やはり形式体言でひっかかる。といっても「こと」「もの」「とき時」「ところ」「ため」「つもり」「はず」、これらはすべて元々は実質的な意味を持った単語ですからね。要は形式名詞は実質体言のミュータントと考えれば気持ちはすっきりです。
君:佐七のこころ、やまだいのち。
ほほほ