大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 民俗学 人物篇
アーネスト・サトウ
私:飛騨を最もよく理解して最も詳しく記載した外国人、それは明治の英国人外交官アーネスト・サトウ Ernest Satow ではないでしょうか。(以下は、中野谷康司・英国外交官サトウが見た明治の飛騨・ひだのあしあと、岐阜新聞社、から一部抜粋)
1878年7年17日、サトウは飛騨の山旅を計画して、東京を出発。神岡経由で30日に高山に入る。長瀬重兵衛宅で宿。翌日は丸一日を高山で過ごす。以後、最初で最後の飛騨への山旅を約一ヶ月かけて終える。つまりは産業革命を体験した英国人外交官サトウをも魅了した飛騨の山並みは飛騨観光の原点ともいえる。飛騨の山並みは、今日も素晴らしい。
君:佐藤ではないのね。英国人が両親の生粋の英国人。
私:その通り。生粋の英国人。小泉八雲とは違います。--- Ernest Mason Satow was the third son of Hans David Christopher Satow,
a Swedish merchant who had migrated from Riga to England in 1825 and become
a British national in 1846. His mother, Margaret Mason, was English. -- 彼のルーツはスエーデン、但し生粋の英国人なので、セイトウ、と発音するのがいいかもしれないね。但し彼は日本名で佐藤愛之助。Satow の綴りに運命的なものを感じていたことは間違いない。
君:業績を簡単に紹介してね。
私:幕末あたりの英国外交官で、イギリスにおける日本学の基礎を築いた人。日本に赴任して日本語を学び、日本のよき理解者となった人。日本の書籍四万冊を集めて大英博物館に三万冊、ケンブリッジ大学に一万冊を寄贈したそうだ。明治時代の素朴そのものの飛騨にもほれ込んだ英国人というありがたき存在。「大山町史」第6章 交通・通信の発達 p550 大山町史編纂委員会編 1964年発行にも、1878年(明治11年)7月、信州、北陸方面へ旅行。長野県大町市から北アルプスを横断する立山新道を経て富山県富山市へ至った、との記載がある。
君:外交官サトウの研究だけでも大変な事ね。
ほほほ