大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム
無体と益体
私:飛騨方言には、とんでもない・無茶苦茶だ、と言う意味で「たいもない」「やくたいもない」この二つの言い方がある。
君:「たい・やくたい」これは共に一般抽象名詞ね。「たい」は「やくたい」を詰めた言い方、という事でいいのじゃないかしら。
私:方言学というか国語の音韻の原則、つまりは言葉は長年に渡り使用されると短呼化される (i.e., wear and tear theory)、という原則に照らしてみるとそうなるね。
君:スマートフォンをスマホとか。パーソナルコンピュータをパソコンとか。
私:実は「たいもない」の語源説に「無体」というのがある。無体は仏教語にあるから仏教語由来説が有力だが、「ないがしろ」つまりは「無代」からの説もあり、定説は無い。「やくたい益体」は運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)にある。天文17年(1548年)序のイロハ引きの国語辞典。益体は仏教語にはないようだ。つまり和製漢語。以上の事柄が話をややこしくする。
君:若しかして無体・益体の意味の差は微妙という事かしら。
私:まさにその通り。「やくたいもない」の語源が益体であるとする説は品詞の転成がないので素直に理解できるが、「たいもない・無体」にはそれがない。つまり無体説には一種の胡散臭さが伴うね。更には両語の共通音韻は「たい」だから、無体から益体が派生したのでは、とも考えられなくないかい。
君:いずれにせよ抽象語同士のお話なのだから、何とでも言えるわよ。
ほほほ