大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 語源
ずく「=まっすぐ)直、(=満足・納得)尽」
私:飛騨方言の二つのフレーズ、「ずくなこと」と「ずくない」、を紹介した。
君:語源が少し違うのではないか、というエキセントリックな話題ね。つまり、「ずくな事」とは「すぐなる事(直也事)」で、「ずくない」とは「つきない(尽無)」の意味ね。
私:早い話がそういう事。更には、両者に共通する音韻「ずく」だが、これは体言で決まり。但し、前者は形動ナリの語幹であり、後者は自カ上二「つく尽」の連用形が体言となったもの。
君:意味は似ていなくもないけれど、厳密には同音異義語ね。
私:その通り。元の音韻は「すぐ」と「つき」だが、共に「ずく」になった。しかも文法的には体言、しかも意味すら似通っている。
君:あなたのお話をお聞きの大半の皆様は、よくわからないし、どうでもいい事、とお思いじゃないかしら。
私:まあ、そういわずに。アクセント学のお話にしよう。こちらのほうが面白い。「直ぐ(に)やります」とか「真っ直ぐな木」というフレーズで誰もが気づかされるのは「直ぐ」は頭高アクセントという事。そして「いつまでも話が尽きない」からわかるように「尽き」は平板アクセント。当然ながら「ずくなこと」の「ずく」は頭高で、「ずくない」の「ずく」は平板。従ってこの飛騨方言の二拍名詞「ずく」は明瞭にアクセントによる弁別作用が働いている。つまり、意味の混同は生じえない。
君:ますます、どうでもいいお話になっているわね。
私:いやいや、語源の探求においてアクセント学からのアプローチは大切である、とひと言、申し上げたい。
君:でも、飛騨方言のこのような言い回しは既に死語も同然よ。
私:その点についてもひと言。失われる方言、つまり絶滅言語としては八丈方言や南西諸島にスポットが当てられがちだが、伝統的飛騨方言とて例外ではない。音声情報の保存は大切だね。
君:佐七君もユーチューブをやったらどうかしら。現にお若い方が健闘していらっしゃるわよ。
私:私は言語学者ではないし、ひとつにはポケ防止のために毎日書いている、それだけの事。
君:なるほどね。禁煙宣言儀式のコンセプトに通じるものがあるし、お気になさらないでね、実はそれは読者の皆様にとってはあなたの生存確認みたいなものよ。
私:そうだね。一週間も更新が無かったら、死んだものと思ってくれ。今のサーバーならば、世界のどこにいてもネット環境さえあれば管理人は発信が出来る。
君:無人島でも。
私:当たり前。今の時代は全国津々浦 Starlink で今まで圏外と言われていた地方でもネット利用が可能になった。高校時代までFM電波が届かない大西村に住んでいた管理人。大学生になって初めてFM音楽を聴いてびっくりした。
君:つまり、それまではラジオと言うものはガリガリと音がするのが当たり前だと信じていたのね。
ほほほ