大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の地名・番外編・幻の地名

下呂村

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私:「げろむら」下呂村とは明治16年から大正15年まで続いた幻の行政区画。同年に同村は下呂町に昇進、また同町は平成の大合併で旧益田郡を呑み込んで下呂市に昇格して今日に至る。
君:下呂市と言えば何と言っても下呂温泉よね。下呂村、下呂町を経て下呂市になった話なんて面白くもなんともないわよ。
私:いやいや、それは皮相な思いつきというものだ。よく読み返してみてごらん。
君:えっ、下呂温泉はシラサギ伝説もあれば、林羅山(1583 年–1657 年)の名言たる「天下の三名泉」で全国に知られているわよ。下呂という地名は若しかしたら古代からの由緒ある歴史に刻まれていたのではなかったという事ね。
私:よく気付いたね。彼が詩文集『林羅山詩集第三西南行日録』で紹介したのは有馬(兵庫県)、草津(群馬県)、湯島(岐阜県、現在の下呂)。江戸時代までは下呂温泉という名前は存在しなかったんだよ。
君:でも、・・・・下呂というユニークな地名の由来をひも解いてみると、大化の改新の頃まで遡り、現在の下呂温泉がある場所は、飛騨の国に属し当時すでに国府か置かれ、すでにあった金山町菅田駅と萩原町の伴有駅(とまりえき)の間に、新しく「下留駅」(しものとまりえき)が作られた。その後、「下留」が「ゲル」と音読され、そして「ゲロ」となり「下呂」の字が当てられた・・・・などの資料があるわよ。
私:つまりは古代には「下留駅」(しものとまりえき)は存在したが、「下呂」という地名は存在しなかったって事だ。ところで下留が出来て伴有駅は改名された。その名前は?
君:ふふふ、そのくらいはわかるわよ。「上留駅」、つまりは上呂「じょうろ」ね。
私:うんうん、その通り。さて、上呂・下呂の駅名が定まったので、のちの時代に上・中・下ののりで、下呂と上呂の中間点に「中呂」という地名が出現した。中呂に関する最も古い資料としては、金山町祖師野の八幡神社所蔵の大般若経奥書に、元応二年(1320)五月十六日・益田郡中呂真乗寺、の記載がある。それ以前の事はわからない。
君:「下呂」の名前は具体的には何時の時代からなのかしら。
私:地名・下呂は実は室町期からの郷名だ。下呂市夏焼白山神社所蔵大般若経の応永19(1412)・25各年の奥書に益田郡下呂郷和川之村の記載が出て来る。それ以前の事はわからない。
君:実は中呂の記載が下呂の記載より古かったのね。ほほほ、大発見じゃないの。つまりは三地名「上呂・中呂・下呂」は元応二年以前に同時に出来たという意味だわ。それでも湯之島の温泉は一千年の歴史を誇るのよね。単純泉としては湯量日本一、源泉かけ流し。
私:ははは、実はそうではない。それについても少しばかり説明が要る。確かに温泉の発見は一千年以上前の天暦年間(947-957)、村上天皇の時代、但し、湯ケ峰と呼ばれていた。江戸時代の林羅山の記載は上述の如く湯島。これってどういう事かわかるよね。
君:そりゃあわかるわよ。今の下呂温泉は飛騨川河畔だけれど、大昔の源泉は山の手にあったのでしょ。
私:その通りだ。文永2年(1265)になんと、その峰の源泉が枯れてしまったと思いきや飛騨川の川原に移ったんだ。
君:文永の役と言えば鎌倉時代、モンゴルが攻めてきた時代ね。なるほど、そこで出てくるのがシラサギ伝説ね。
私:まあ、そんなところでしょう。ははは
君:ははあ、わかったわ。そして温泉の村が湯之島になったのね。
私:その通り。くどいようだが江戸時代には下呂村という名前は存在しない。元禄検地反歩帳、天保郷帳に出で来るのは湯之島村。
君:江戸時代は益田郡下呂郷湯之島村だったのね。あら、でも、下呂村が明治16年からとなると、明治になって直ちに実行された廃藩置県の後という事になるわね。
私:実は今回のお話のキーポイントはそこなんだよ。明治政府は廃藩置県で益田郡の村々を大統合した。一番にすっきりしているのが小坂と馬瀬、これは江戸時代から。問題は現在の萩原・下呂・金山あたりだが、なんども線引きが繰り返された。簡単に一言、下呂・萩原地区は廃藩置県で川西村・三郷村(みさと)・下原村に三分割された。実は三郷には萩原町村と湯之島村が含まれていた。三郷は大きすぎるという事でこれを4分割したのが明治16年。宮田・三郷・下呂・竹原の四つ。ここで初めて下呂村という行政単位が誕生する。三郷村は明治30年に萩原村に改名されて江戸時代の名前に返り咲いた。ただし江戸時代は萩原町、明治に萩原村という事で複雑な気持ちをいだいた人も多かっただろう。
君:湯之島村の人達のお気持ちはどうだったのかしらね。
私:湯之島村という村の名前が消えて三郷村などという聞き慣れない村の名前だったものの、この名前を現・萩原町にくれてやって自分たちは下呂郷の名前をいただいて下呂村、つまりはビッグスケールになったのだから大満足だったのじゃないかな。下呂温泉は泉源が川原にあるため洪水で流出する事が多かったが、大正13年のボーリング以降は泉源を確保でき、以後は発展に次ぐ発展、遂には萩原町を呑み込んで下呂市の名前をいただいた。
君:林羅山もびっくりなさるわね。天下一と記載すべきだったのかと。 ほほほ

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