大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名
にゅうかわ(高山市丹生川町)
私:今日の話題は旧大野郡丹生川村(現高山市丹生川町)。
君:名前の由来が判明したのね。
私:実は江戸時代の飛騨には丹生川という地名は存在しなかった。明治8年(1875)に突然に出来た地名です。江戸時代の大野郡27村と吉城郡5村が合併して出来た新しい名前です。
君:へえ、それは知らなかったわ。でも明治8年にどなたが命名なさったのかしらね。
私:丹生川村という地名は地方行政区画便覧(1886)に最初に出てくる。当時としては誰もが知らない斬新な名前だったというわけだ。
君:合計32の村を統合するような象徴的な名前で32の村の人々が納得なさったというわけね。
私:いやいや、それが微妙な問題だ。結論から言うと、大が小を呑み込んだような丹生川村誕生、ってな感じだね。丹生川村の中心地と言えば町方(まちかた)村。丹生川村誕生は町方の一人勝ちだな。
君:いいから簡単に説明してね。
私:江戸時代の大野郡27村を流れる川が小八賀(こはちが)川。中心地は町方。そして江戸時代の吉城郡5村を流れる川が荒城(あらき)川。この二つの水系が合併して明治に新たに丹生川村になった。新しい村の名前を町方村にしてしまっちゃ荒城川水系の5村の立つ瀬がない。従って、小八賀でもない・荒城でもない・町方でもない、皆の象徴として丹生川でいこうという話になったのだと思う。
君:どこかに書いてあったのね。
私:いえ、どこにも書いてありません。勝手に想像しているだけです。
君:いいかげんな事を言わないでよ。
私:いやいや、丹生川という地名なら誰もが黙るだろうという根拠がある。ところで丹生川は地名としては一般名が固有名詞化した典型例なんだ。和歌山県・紀の川水系に多いが、「にふ丹生」は和語で水銀の事。つまりは水銀が採掘される川という意味。
君:つまりは高山市丹生川町では水銀がその昔に採掘されていたのね。
私:いやいや、それもない。
君:話がややこしいわ。簡単に一言で説明してね。
私:実は飛騨に数少ない万葉集の歌枕だったんだ。斐太人之真木流云尒布乃河事者雖通船曽不通(巻7-1173)・・・・飛騨の人が立派な木を流すという丹生の川は、言葉は通うものの、船は通わぬことよ(詠み人知らず)。この歌はもとより都で詠まれた歌だ。当時の飛騨は都から離れたファンタジーの世界だったんだね。皆が、飛騨ってどんなとこなんだろう、行ってみたいけれど怖い気もする、という辺境の地。
君:なるほど万葉集に詠まれたとなると、皆様がうっとりしちゃうわね。でも流れている川の名前は小八賀川で丹生川じゃないわよ。
私:まさにその通り。万葉集に詠まれた斐太の丹生川がどこの川を示すのかは判然としない。ただし。ここでウルトラシー仮説が出てくる。それは乗鞍だ。何を隠そう、乗鞍頂上は高山市丹生川町。
君:乗鞍?
私:つまりは万葉集とか、乗鞍という言葉を出すと、これ以上のビッグスケールな言葉はないので誰もが黙るというわけだ。実は乗鞍岳には23の峰があり、他にも7つの池がある。池の一つが大丹生池(おおにゅういけ)。昔、村里が干ばつに見舞われると、この場所が雨乞いの場になっていて、また、円空上人がこの池に千体の仏像を沈め、災いを収めたという伝説もある。という事で、万葉集に歌われた川は小八賀川で決まり。
君:ほほほ、今、国土地理院データをみたら小八賀川も荒城川も宮川にそそぐのだけれど、両川とも乗鞍が源流で仲よく東から西に流れているのね。
私:要は荒城川の上流は下流の国府町とは隔絶されていて、むしろ恵比寿峠越えで簡単に町方に行けるという事。水系を無視した行政線引きをした明治政府に罪はない。
君:本日の結論は飛騨の地名・丹生川の由来は水銀とは関係なく実は万葉集である事と、そして明治になって荒城川の上流の村が小八賀川の村の中心・町方に身売りされたいうお話ね。
ほほほ