大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考
大西(村)
私:大西村の話は、ふふふ、実はまだ半分。
君:えっ、どいう言う事。
私:ひたすら西進していた益田川が大西村で突然に南進する理由をまだ説明していない。
君:説明なんていらないわよ。川はひとすら海抜の低いほうへと流れていく。それだけの事だわ。
私:ふふふ、結論から言おう。大西村の皆様がたは元々は裏日本の人間だった。
君:えっ、どういう事。益田川(飛騨川)は木曽川の支流で伊勢湾に注いでいるのよ。
私:ははは、ごもっとも。ところで日本列島は常に動いている事を知っているよね。
君:勿論よ。太平洋プレートがユーラシアプレートを押しているのでしょ。
私:その通り。その結果、本州は常に太平洋側からの圧が加わり、大西村の裏山が太古の時代に出来てしまったんだ。よりによって益田川が盛り上がっちゃったんだよ。つまりは大西村の裏山は本州の小じわ、元々は益田川の河原、という訳だ。日本の屋根というと深山幽谷のイメージがあるかも知れないね。裏山は実は可愛らしい山だ。
君:へえ、なるほど。という事は太古には乗鞍・木曽の水源は益田川であった事は変わりがないけれど実は高山の方向に流れ、高山市界隈で宮川と合流して富山湾に注いでいたのね。
私:正にその通り。太古の益田川は上流は富山湾に注ぎ、下流・つまりは小坂あたりからの部分が伊勢湾に注いでいた。
君:大西村が隆起し、行き場を失った益田川上流はやむなく南進し、小坂で現在の益田川とドッキングしたという事なのよね。
私:ははは、よくわかっているじゃないか。
君:凄い発見よね。
私:ははは、日本の地質学者はとっくの昔にその事に気づいていらっしゃった。
君:皆様、賢い方々なのね。それに常軌を逸した独創的発想。
私:そして、もうひとつの大変な話題だが、実は2004年に高山と大西を結ぶ全長七キロの大トンネルが完成した。 大西は何と高山へ自転車で十五分程度の地区になってしまい、 トンネル内はナトリウムランプが煌々(こうこう)と灯り、高校に自転車通学できるようになってしまったんだ。
君:えっ、あなたが当時に高校生だったら大西村から斐太高校へ自転車通学していたのね。
私:多分ね。
君:まあ、ご苦労様な事ね。
私:トンネルは裏山の深いところを掘削して完成したのだが川原石が続々と出土して、地質学的仮説は証明された。裏山・大分水嶺とは名ばかりでかつての河原が隆起しただけの地形という事が判明したんだ。
君:大西村ならぬ大河原村、或いは大隆起村という訳ね。
私:まあそんなところだ。so called The Great River Beach Village or The Great Elevation Village. 益田川が大西村で強引に南進させられているわけだから大曲村(おおまがり)でも良かったのかな。so called The Great Bent Village
君:でも乗鞍が眺められる西の果てというお気持ちのほうが強くて「大西」村とお名付けになったのだわ。The West-End Village of The Farthest View of Mt. Norikura.
私:ありがとう。優しいお言葉。村民全員の総意として君に感謝申し上げたい。
君:村の方々は益田川が大西村で直角に曲がっている事に関しては何の疑問も抱いておられなかったのよね。
私:裏山のトンネルが出来るまでは村では話題にもならなかった。
君:でも、川原石が出るらしい、という事で村は騒然となったのよね。
私:その通り。
君:地学も結構、面白いわね。
私:面白いついでに、先週は上宝・福地・神岡へ行った。
君:ほほほ、高原川の旅ね。
私:北アルプスの村、上宝・福地は昔は海だった。
君:神岡は元々は大陸の一部で、それが千切れてはるばる今の地にやってきたのよね。
私:そう。大西村が隆起して行き場を失った富山湾に注いでいた益田川がやむなく南進して小坂へやってきたのは、その後の話だ。
君:ところで乗鞍を眺めるのに適した季節はいつなの。
私:それもとても良い質問だ。晩秋の夕暮れ。
君:なるほど。初冠雪が済み真っ白な乗鞍頂上が真っ青な空を背景に夜の帳(とばり)と共に赤く染まるのね。
私:その通り。朝の白い乗鞍は信州松本から眺めれば良いし、夕方の赤い乗鞍は飛騨高山から眺めれば良い。夏は山頂は常に上昇気流がなす雲に覆われ、ほとんど見えないのが残念。
君:山頂から大西村は見えるの?
私:見えるよ。はっきりと見える。川も、田畑も。生まれて初めて親に連れられて乗鞍山頂に立ったのが小1だったが、はっきりと見えた。一生、忘れない。
君:山頂から西方向に見えた一番に遠くの村だったという事なのよね。ところで今日は古語辞典も何も要らなかったわね。ほほほ