大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名
かじばし(鍛冶橋)
私:上京すると東京駅八重洲口に鍛冶橋の地名があるので、飛騨人は、なあんだ一般名だったのか、と勘違いしてしまう。
君:あら、全国にある一般名詞じゃないのね。
私:そうだよ。東京駅の鍛冶橋が唯一の名前ではなく、岐阜県高山市にも鍛冶橋があるという事。実は全国に二か所だけ。つまり固有名詞。多くの日本人は高山市にも鍛冶橋があると知ってびっくりなさるんだ。高山市の鍛冶橋は宮川にかかる橋で、高山駅から乗鞍方面に向かう最重要の橋。橋そのものを鍛冶橋というし、橋から高山駅までの表の道を鍛冶橋通りという。橋のたもとは本町と交差し、鍛冶橋交差点が実質上の高山市の中心。
君:つまりは東京の日本橋にあたるのが飛騨高山市の鍛冶橋という事ね。
私:要はそういう事。さて、語源だが、ネット情報を散見するに、昔、橋のたもとに鍛冶屋さんが営業していたのかもというまことしやかな説がある。
君:実際のところはどうなの?
私:わからない、が正解。東京の鍛冶橋だが、鍛冶橋門跡が語源。・・・JR東京駅八重洲口前を通る外堀通りは、かつて江戸城の外濠だった場所です。鍛冶橋門は、1629(寛永6)年に秋月藩主黒田長興らによってつくられたが、現在は説明版が残るのみです。門前には御用絵師として江戸城本丸の襖絵を描いた狩野探幽の屋敷がありました。・・・千代田観光協会のサイト情報。日国には幾つかの言葉の記載がある。「鍛冶橋狩野(前記、狩野探幽の系統の事)」と「鍛冶橋門」のみ。
君:ほほほ、つまりは言葉の本丸としての鍛冶橋門ですら語源がはっきりしないようじゃ気が重くなるわね。
私:つまりは、江戸時代に飛騨・高山城が築城された時に城主・金森長親がきどって江戸の鍛冶橋を拝借して名付けたとしか僕には考えられません。かってに佐七説。若し間違っていたら御免なさい。
君:ふざけないでよ。
私:失礼、本題に戻ろう。高山の鍛冶橋といえば、橋の中央にある手長像・足長像が人気の写真スポット。これについては嘉永元年に名工・谷口与鹿が出雲神話を元に高山祭の屋台・恵比寿台に具象化彫刻の形で取り付けた。鍛冶橋の像はそれを模したもので平成あたりに出来たもの。昭和の人間の佐七の幼い記憶には手長像・足長像は無い。
君:佐七君も老人になってしまって、あなたの幼い日の記憶も曖昧情報だわよ。
ほほほ