大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 脳科学
文字情報とは
私:PCがマルチメディア機器と言われてから久しい。今や携帯がその代表格といってもいい。
君:意味不明な出だしね。表題と言い。
私:そうだね。本当はもっと国民の皆様に判りやすい表題にしてもよかったのかな。例えば「佐七はいつまで原稿ばかり書いていやがるんだ、本当に一万ページも書くつもりか?!」の表題のほうが判りやすい題目だろうね。
君:そうね。話してなんぼ、聞いてなんぼ、の方言学なので、ただただ原稿を書くというのは情報伝達手段としては拙いわよ。
私:それはつまりは方言ユーチューバーとしてデビューしろ、という意味になるが、それだけは御免。
君:どうして。
私:理由はたった一点、毎日のように気軽に情報発信が出来なくなるから。動画ともなると。まとまった内容が必要であるし、一本を製作するのに一週間やそこらはかかるでしょ。そこまで暇ではない、という意味です。
君:ちょっとした余暇の有効利用という事ね。
私:飛騨方言を一度も聞いた事がない、というお方にとっては非常に判りにくい内容になっているのでは、と危惧するがご容赦を。エンタメ性は必要だと感じているのでなるべく言葉は平易に、冗談を交えて、というスタンスでいる。
君:まだ脳科学の文字情報のお話が一言も始まっていないわよ。
私:早速に本題だが、読書好きの人は多いと思う。時間をかけて黙々と文字を追いながら、あれこれ連想する。会話部分もあるだろう、そのような部分は臨場感を感じながらお読みだろう。ところで、この読書好きさんは実は脳科学的には文字なんか、一文字も読んではいません。どういう意味かな。
君:意味不明よ。読んでいるに決まっているわ。
私:いやいや、彼は本というものを見ているだけであり、目を通じて脳に入り込むのは文字という無数の絵なんだ。
君:文字が絵に見えるというのは古代エジプトのヒエログラフの事よ。
私:いやいや、そうではない。眼球網膜から入った光の情報は忠実に後頭葉の大脳皮質(一次視覚野)に投影されるが、どんな文字、漢字であれ平仮名であれ、一次視覚野に投影されるのは、そのような形をしたちいさな絵。つまりは前頭葉が未発達な赤ちゃんは正に文字を絵として捉えている。
君:なるほど、それはそうね。
私:これを文字として認識して、然も文字の列、つまりは文章として捉え、あまつさえその文章の解釈までしてしまうのが前頭葉。
君:なるほど。
私:以上の議論に余裕をもってついて来られる読者の皆様はご安心していただきたい。
君:早い話が、方言千一夜物語を毎晩お楽しみください、というような気持ちで書き続けているのね。
私:その通りだ。つまりは人間の脳が文章を理解するのは、後頭葉にまずは入力されたビジュアル情報を前頭葉で解釈するする、これだけの事ではあるが、後頭葉から前頭葉に至るまでに、そのビジュアル情報は徹底的に要素分析される。この時点で情報のAD変換が行われる。続いて視覚連合野が働く。つまり要素の統合(「二次加工」)がなされる。つまり一次視覚野情報は情報の塊として前頭葉にある文法中枢にまわされ意味分析される一方で、前頭葉の他の部分に元々は存在しなかったがそれまでの学習により獲得したこれまた無数とも言える情報との照らし合わせ作業により、文章の理解というものが生まれる。随分はしょったが、ざっとこんなような流れ。
君:そのような理解が容易な人には文字情報を与えるだけで十分、それが当サイトの流儀です、と仰りたいのよね。
ほほほ