大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 雑感
なんちゃって飛騨方言(2)
私:アクセントの話の続きを。
君:前回の結論はアクセントとイントネーションの違いのお話ね。語のモダリティがアクセントで、文のそれがイントネーション。
私:件の you tube の或る教育シリーズはひどかった。アクセント・イントネーション共に滅茶苦茶という感じ。こういうのを言語学ではプロソディの問題というんだよ。プロソディ(prosody・韻律)と韻律 prosodyに書いた。
君:書きすぎで、判りにくい内容ね。簡単に一言で説明してね。
私:プロソディは、要は話の調子という事で右大脳半球がつかさどる。左大脳半球には言語野がある。車に例えるならば、言語野がある左大脳半球がエンジンで、プロソディが宿る右大脳半球はアクセルとブレーキ。
君:大脳生理学はいいから、音声学と音韻学の立場から一言で説明できないかしら。
私:よっしゃあ。文にはイントネーションがあり、フレーズにはプロソディがあり、単語にはアクセントがある。この説明でおおかた合っているはず。フレーズ毎のイントネーションがプロソディで、フレーズ毎のアクセントがプロソディ。
君:つまりはプロソディは微視的にはフレーズの音韻という事ね。
私:そうなんです。日本語、英語を問わない。だらだらと長く続く講義、つまり一本調子の話し方はよくないね、なんていうのはプロソディの問題だ。
君:でも件の教育シリーズはマシンガントークで生き生きとした話しぶりだったのでしょ。
私:うん。だが然し、各国言語にはプロソディなりの規則があり、この規則に従わない場合は、例え生き生きとした話し方であっても、聞き手にとっては心理学的には「耳障り」の評価になる。言語学では他には、Prosodic Phrase (or Phonological Phrase)、Intermediate Phrase、Accentual Phrase、などの用語で議論される事もある。プロソディは聞こえの心地よさとも言い換えられるので心理学的な命題とも言える。つまりは方言をやるよりも、国語をやるよりも、言語学・心理学をやるのが何と言ってもムズイという事になる。
君:飛騨方言だけにしておきなさいよ。
ほほほ